特別支援学校の運営のなかで、医師の支援を要する場面があります。
医療的ケアを実施している児童生徒の宿泊を伴う学習のとき、同行を依頼することがあります。
内科や眼科、歯科などの検診のときに、近隣の開業医などが来校します。
医療的ケアの実施者になろうとする教職員の手技のチェックをすることがあります。
給食の形態を検討するときに、摂食の場面をみてもらうことがあります。
などなど。
リハビリテーション技士もそうだと思いますが、外来で児童生徒の様子をみて、「この子はこれができるのでは」、「この子はこれを目指していけば、伸びるのでは」という気づきがあると思います。
この時、自分が学校に出入りしていて、何らかの発言権があるとしたら、それを学校に伝え、良いと思われる提案をしたいと思うでしょう。
・自分の専門性が生活の場面で活かされる。
・外来から、学校へとつながる契機になる。
・学校の専門性があがる。
・保護者の満足につながる。
・子どもの発達や安全に寄与できる。
【私が口をきいてあげる】
外来で、「今度学校に行ったら、コレができるように話してみてあげるから」と保護者に伝えます。
私は、この段階で、この医師は勘違いをしていると思います。
あくまで、医師は評価などの情報提供をすること、学校でどこまでやっていいか、やってはいけないかの線引きをすることが仕事です。「助言・指導」をすることはあっても、指導目標と指導内容を掲げ、さも私が実現させてあげますから、みたいなことを言うのは慎むべきだと思います。
外来できている子どもは一人です。しかし、学級でいるときは何人かいる子どもの中の1人です。
教員は、医師からの話を直接聞く担任の先生だけではありません。
学校生活を支援する教員には、経験年数、得意・不得意、知識技能の差、教育観の違いがあります。
私が学級で指導するときは、「評価しながら治療する」みたいな段階をふむのは自分だけにしています。通常はAパターンで、こんなときはBパターンで、みたいな「型」ができてから、他の教職員にもみてもらうようにしています。それが安定して継続できる指導であり、誰がやっても不安が少ない指導になるからです。
支援者である以上、高いレベルを目指すことが必要だ、私が助言・指導しているんだから活かしてもらわないと意味がないじゃないか、といった考えは傲慢であり、エゴです。
学校に指導方法を持ち込むときは、どんな先生が日々指導しているか、指導体制(教職員と児童生徒)はどうか、どんな環境で指導しているか見て欲しいと思います。
それらを把握したうえで可能性を探り、導入するか・できるかの判断を担任の先生委ねて欲しいと思います。
医師と保護者を目の前にして、「それはできません」とは言いにくいものです。無理をしてでも、できるように努力させる圧力をかけていることに気づいて欲しいのです。
【1000回】
本ブログは、いくつか削除したものもありつつですが、1000回目を迎えました。これを機に、何かを変えようということもなく、これからも読んでくださる方が「へー、そうなんだ」と思えるような日常を形にしていきたいと思います。