学校の文化 担任の先生より

1149)特別支援学校 人生というスパンで考える

株式会社Gakkenが出している、「実践みんなの特別支援教育」の9月号の特集記事「人生というスパンで考える」と書かれていたので、手に取りました。

そこでは、自立や社会参加に向けた移行支援や、自己アセスメントについて書かれていました。

キャリア教育や進路指導について、その子らしさや、地域や児童生徒の実態に応じてと前置きはされているものの、どうも教員が子どもの能力に気づき、引き出し、成果を出して能力を高めよう、それが社会参加や就労につながるのだ、といっているように見えます。

教育学部にいるときに、「子どもは大人を縮小したものではなく、子どもは子どもの世界がある。」と聞いたことがあります。確かに、経験的なものですが、大人になった今では理解しにくい感じ方や考え方、人間関係がありました。だからといって、あまりに世間ずれした価値観が蔓延している特別支援学校の教員(四半世紀前)にも共感できずにいました。

だから、子どもごとの世界があっていい、ただ、その子たちが社会を知り、人間関係を知り、自分の身の回りのことができ、誰かと生きていくための手掛かりを学べるようにしようと思ったものです。

子どもの成長に期待しつつも、キャリア教育が企業就労などに向けた能力向上を過度に意識されるとどうなるでしょうか。到達するかどうか分からない「高い能力」のために、教育課程が組み立てられることになりはしないか、1つの能力を「いつでも、どこでも、誰とでも」と確かめ、広げ、自分のものにする時間は確保できるのか。

【寄り添うのはどちらか】
特別支援学校は文部科学省、卒後の生活を支える医療福祉は厚生労働省、学校でいくら頑張っても、受け皿がなければどうにもなりません。

特別支援学校を卒業したら、どこに行くのかについて、いろいろな学校が進路先を公表しています。企業就労や進学もありつつ、生活介護をメインにする子もいる訳で、特に高等部が頑張って実習や職場体験などを通して進路指導を頑張っていますが、受け皿の数や選択肢がなければどうにもなりません。

小学部から高等部まで、持続性や継続性のある指導が大事なのは分かりますが、どこに向いているか、どこに着地するか見えないままだと見通しがもちにくいですし、指導計画をたてるなかで「これでいこう!」となりにくいです。