「診察して医師と相談した結果、服用していた小児神経発達症の薬物を止めました」というコメントが連絡帳に書かれていました。
もともと、気持ちを落ち着ける、気分のムラを少なくするということで導入されていたものです。当時は該当の児童生徒の担任でなかったので、そこまで関心をもって聞いていた訳でなく、いわゆる「ありがち」な話と思っていました。
【それまでの状況】
場面ごとに、ここはそうするものだと、繰り返し指導していれば少しずつ定着していた。
日々のルーティンについては、順番に何をするか、どれとどれをすれば終わりか判断できていた。
全般的に、必ずこの場面ではできる、というものではなく、適宜支援や見守りが必要な状態でした。
余談ですが…。
どこまで指導として介入するか、は個々の判断基準や目標設定、状況判断に委ねられますが、特別支援学校では全体的に「間違いをさせない」、「事故はあってはならない」「手をかけることが指導と思い込んでいる」などの事情で過保護だと感じることがあります。
反対に、複数の児童生徒を全体同時に支援できるマンパワーがないので、どこかのリスクを背負わないと運営できない、子どもの教員に対する依存度がアップするので距離をとろう、1人でできるかアセスメント(医療業界でいうところの評価)をしないと指導の経過や目標達成の進捗が分からない、などの理由で教員が子どもと離れてみることがあります。
どちらをとってもリスクはありますが、事故等があったときに、必要な支援や予見される状況に対応していなかったと責められるほうが教員にとってダメージが大きいので、過保護になりがちです。このリスクの選択は、個々の支援する能力(体力も含め)にも関係するので、「この子にはこうするべき」「この方法でやるべき」とは言いきれません。
【どうなったか】
薬をストップして、翌日か二日後になりますが、その影響と思われる変化が随所にみられました。
・感覚刺激を求める傾向が強くなった(大声、もたれかかる、机をたたく、持ち物の端を噛む、等)
・次は〇〇、この活動はこれをやったら終わり、が極端に減った。
・その場その場の感情や周囲の刺激に左右されることが増えた。
・目的地まで歩く、教材への注意を持続させるなど、何かを継続することが極端に弱くなった。
・取り組めていた一人課題を続けて実施できなくなった。
これらの変化は、周囲の教員にも感じられており、「大変になったね」「しんどいねぇ」と、教員だけでなく、子ども自身に向けた言葉がかけられるようになりました。
学校生活を支援する立場として、明らかに個別に対応することが増えました。
担任として、医師と決定されたものを覆すことはできませんし、早々に服薬を再開して欲しいと訴えることもできません。なぜかというと、医師でないので薬物の摂取に関する判断ができないこともありますが、教員の指導力で対応できるか、難しいことなのか判断するための実績を積まないと話ができない面があるのです。
継続してもできない、手をかえても、人をかえてもできない、それらが揃ってはじめて対応できるのです。