学校の文化

304)部活の理不尽さ⇒将来、仕事についたときに役に立つと言われた学生時代

最近、ネットでよく見かける言葉は「行動」など主体性、自主性、協働など、自分がやりたいことを見つけて、決めてやってみることが大事で、他人の批判に惑わされるな!という雰囲気を感じます。

私も、「そうだよね」、「それがいいよ」と思って、ある程度好きなことをさせてもらっています。

【30年くらい前】
もう、30年前くらい前になるでしょうか、ネットが一般に普及するようになる前のことです。
(1999年の紅白歌合戦で、小室哲哉氏がISDNでネットにつなぐ話をしていたくらいです)
当時は、「初志貫徹」、「我慢」、「(同調圧力的な)協調性」が重んじられ、それができない人は我慢ができない、自分勝手な人間だと軽蔑される傾向がありました。

なんか、しんどいぞ…

【部活】
私は大学時代、某体育系の部活に所属していました。
そこでは、「1年ゴミ、2年奴隷、3年人間、4年神様」という階級社会的なものが存在し、挨拶や、練習中の言葉かけの強要、当番など、その名の通り奴隷のような生活を送っていました。
練習していないときは学業をして、リラックスするか、次に備えるか、がいいと思っていたのと反対に、先輩の顔色と存在、同調圧力に気を遣う毎日に神経をすり減らしていました。

こんなことまでして、続けたい運動じゃない。

2年生になってから部活に行くことを避けるようになりました。
かといって他にしたいこともなかったので、特に何もせず。
勿体ないことをしてしまいました。

【部活は人間関係も含めて大切か】
部活に対する嫌悪感はこの時期の出来事が原因だと思います。
(恩恵もあったので全否定はしていません。)

ある日、部活で忠実に上下関係を守っている女子部員から「部活の関係は、社会にでてから役にたつの。将来のための勉強と思う。」と言われ、

「自分が決めたことを阻害されてまで、やらないといけない事じゃないと思う」と答えた私に対する目は軽蔑そのものでした。

【とにかく合わなかった】
大学の部活の雰囲気には、最後まで馴染めませんでした。
挨拶の強要や、態度で強者であることを主張しなかったので、後輩からは軽視されていたようです。
しかし、お山の大将にはなりたくなかったので、意に介さないでいました。
(それだけの薄っぺらい人間関係しかない場所だったのだと思います)

他に自分の居場所が見つかってから、自分の世界が広がりました。
特に、外国の方が労働者として大勢きていたこともあり、イランの人や、ブラジルの人と英語で話すことが楽しくなりました。
今でも、その好奇心と経験が活かされていると思います。

好きなことをやってみる

【これまでの経験をふまえて】
我慢して継続することも大事、新しいことを始めるのも大事で、一概に決められないと思っています。
また、古いものはすべて悪ではなく、新しいことはすべて善でもないと思っています。

自分なりに、意味づけと価値づけをしましょう。

大事なことは何か、それは「個々に置かれた状況や環境のなかで、今どうすることが大事か選べること」だと考えています。


https://magomago1.org/303needcareworkersfromphilippine202012/
前回は、「303)介護技能実習生を受け入れるには、どうしたらいいか」でした。

https://magomago1.org/305thebeliefofparentschangesschoolactivities202012/
次回は、「305)特別支援学校の行事は保護者の宗教観によって変わる」になります。