学校の文化

326)ローコンテクストな教員がリーダーとして仕事をするとき、留意すべきこと

エリン・メイヤー(2016)は著書「異文化理解力」のなかで

ローコンテクストについて、「良いコミュニケーションとは厳密で、シンプルで、明確なものである。メッセージは額面通りに伝え、額面通りに受け取る。コミュニケーションを明確にするためなら、繰り返しも歓迎される」といっており、その代表としてアメリカ、オーストラリア、カナダ、ドイツなどを挙げています。

【特別支援学校の先生にありがちなこと】
ローコンテクストなやり方を好む先生は、問題を明確化し、原因を探り、どのような支援を必要としているか支援者に提示できる方が多いです。

ハイコンテクストなやり方を好む先生にもどかしさを感じつつ、これだと考える戦略をたてて行動します。多文化または多様な価値観をもっている集団を統率するには、ローコンテクストなやり方が有効です。しかし、学校では教員ごとに考えるゴールと指導観、指導方法が違っており、それを尊重せずに突っ走るローコンテクストな指導がでてくると、それに従いつつも、反感を買う場合があります。

【ローコンテクストな指導を運用ベースにのせるには】
新人または経験が浅い教員集団の場合、方向性がはっきりしており、力量以上の責任を負わないのでローコンテクストなリーダーになるとまとめやすいと思われます。

しかし、明確なものを出すが故にチーム内に依存する雰囲気、自主性を放棄する雰囲気が蔓延してくることがあります。そうなると、リーダー不在の時にリードする人が現れず、実施していることの意味が分からない、次年度に引き継ぐ人材が育たない、などのリスクを抱えることになります。

中堅以降の教員がメンバーにいると、ローコンテクストなリーダーによって自分の教育観や指導のペースに干渉してくると不満がでてきます。多くの日本の学校教員はリーダーを尊重するので大事にならずに1年を終えます。ローコンテクストなリーダーは積極的に活動するので、身勝手な要求をしない限り現場のリーダーとして管理職の覚えもよくなります。(良くも悪くも)

【ローコンテクストなリーダーはハイコンテクストなメンバーとどうすればうまく付き合えるか】
ローコンテクストなリーダーは(沈黙するが故に)見えないメンバーの感情面や専門性を尊重せず、
自分が正しいと思うルートにメンバーを乗せようとする傾向があります。

結局、ルートは同じになるのでしょうが、問題は乗せ方です。

「私はあなたや、あなたの専門性を侵害しない。尊重するので少し譲って欲しい」くらいの距離感が大事だと思われます。

例えば
私はこうしたいので、協力して欲しい。(⇒あなたの専門性を傷つけません)
ここは協力して欲しい、ここは任せます。(⇒あなたと私の専門性をそれぞれ活かして進めたい)
一緒に考えましょう。(互いのいいものを出し合うことで、協働したい意思を示す)
こうなって欲しいけれど、いい指導方法や案はありますか?(⇒あなた運営上のリーダーを任せる)
この条件に合うものを提案してくれませんか(⇒責任の所在を明確にする)

などの手続きを踏むことで、リーダーの希望をメンバーに反映させることができます。

全体的に見て、まだまだ職員室の中は「縦割り意識」が強く、リードするか、リードされるか、という関係性が多いと思います。この文化が強いうちは良い意味でも、悪い意味でもバランスがとれていたのですが、昨今の「教員として」、「教員の専門性」が問われるようになってから、馴れ合いの職員室文化は通用しなくなってきました。

そのため、ハイコンテクスト、ローコンテクストにかかわらず、「価値観の均質化」は難しい、ということを前提に連携を図る必要があるといえるでしょう。

https://magomago1.org/325teachersnonstraightcommunication202101/
前回は「325)自分よりハイコンテクストな教員と仕事をするとき」でした。

https://magomago1.org/327specialeducationteachersriskmanagement202101/
次回は「327)想定内 特別支援学校におけるリスク管理」です。