学校の文化 担任の先生より

423)特別支援学校 非常勤講師など、応援の先生の使い方が雑なのはなぜか。

ある学部の、ある学年の教室です。

【応援の1日】
「今日は〇〇先生が午後から出張だから、教員1人足りなくなる。」
「じゃあ、応援に講師の先生をこっちにきてもらうようにしましょう。

学部の中で調整して、時間講師の先生が応援にくることになりました。

講師A「どうも、Aです。応援にきました。」
教員B「あ、ありがとうございますー、この子についてください、お願いしますー。」

(授業)

教員C「すみませんA先生、トイレの介助もお願いしますー。」
講師A「わかりました。」

(なんとかやってみる)

教員C「あ、A先生、この子はここをこうしなければいけないんですよ。もう、分からなかったら聞いてください。
講師A「そうだったんですね、すいません。(特別な配慮があるなら、事前に伝えてもらわないと、できないよな…)」

【問題点】
よくあるケースです。
私もこのような対応に、随分イラつかされました。

しかし、この安定的に仕事ができない原因はどこからくるのでしょうか。
仕事の成果(結果)を考えれば、誰が何をしなければならないか、分かりきった話だと思うのです。

①普段一緒にいる教員間でルーティンが共有されており、日々それらを確認しあう習慣がない。
自分の手元の子どもの支援に意識が向いており、気が利かない人ばかりになると、周りをみてうまく回るようルーティンを確認することがおろそかになります。

②その場に根をおろした教員のほうが、この場所を良く知っている、だから聞け。
 心理学か何かの本で見たことがあるのですが、その環境に先にいた人が、その場では自分は長くいるから立場が上だと思ってしまう心理が働いているようです。まるで牢名主、まるで体育会系部活です。上だから下に気を遣う必要はなく、下で分からないなら聞いてこい、と考えるようです。
新規採用5年目くらいが職場で増長する理由はこれかなと思います。

③私がミスる訳にはいかない。
応援の先生に難しいところを簡単に任せ、自ら応援にでていこうとは考えないことが多いです。

実際に担任になってみて分かったことなのですが、「その学部に所属する教員である以上、何があっても知らなかったと言い訳がたたない」、「自分が所属する学部の中で、たどたどしく、人に聞きながら仕事することはできない。」、「自分の学級の子どもがいるのに、それをおいて応援にでることはできない」、なども理由として考えられます。

【残念ですが】
チームとして、安全で効果的なパフォーマンスを求めるなら、応援の教員には低リスクの仕事をまわす、それができなければフォローしながら安心して仕事ができるよう根回しをすることが必要だと思います。

また、普段そこにいないのだから、担任並みに仕事を覚える必要はなく、それを期待することも筋違いだと思います。

応援の教員はあくまできてもらった人材です。こどものためだから、当たり前だろという先生もいますが、二度とここには来たくないと思われることはデメリットにしかなりません。

人を大事にしていると、心ある人ならそれに応えてくれようとします。
「協力し合え」とやみくもに仕事を増やす方はこう言いますが、信頼関係がないと協力は必要最低限で、思う以上にクールでそっけないものになるなーと思っています。


https://magomago1.org/422newspaperstockedisidolintheschool202106/
前回は「422)特別支援学校 新聞紙争奪戦」でした。