学校の文化 担任の先生より

476)特別支援学校 経年的な視点で年間指導計画をつくる

特別支援学校でも、通常学校と同様に、教科ごとの指導計画がつくられます。

その内容は学習指導要領に記載している内容が反映され、各学校の実態や経緯(文化)を前例として踏襲しつつ、その年度の児童生徒、教員の実態をふまえつつ作成されます。

しかし、実態として教員には異動があり、きてすぐの先生が学校の文化や授業の流れをふまえ、会って間もない児童生徒の実態をふまえた年間指導計画など書けるでしょうか。書けるとしたら、型どおりか、気の読めない独りよがりになるでしょう。そのため、前年度末に、翌年の年間指導計画を準備して終えることが運用面への配慮で行われています。

その作成は各学年の教員が、自分の教育観や経験をもとに作るので、小学部と中学部、高等部の計画に系統性がなくなることはよくある話です。教員の考えだけでなく、児童生徒の実態も学年ごとにばらつきがあり、「今年の〇年生は全体的に(障害の程度が)重いなぁ」、「今年の学年は机上課題に取り組める子どもが多いなぁ」、「重い子と比較的軽い子のばらつきが大きいなぁ」などの違いがあります。

【指導】
「教員ごとに、年度ごとに計画に違いがでる」ということが理解できない人が見たらどうなるでしょう。

通常学校にあるように、学年ごとに教科書の段階があがり、積み重ねで知識や技能もアップしているはず。だから、計画も段々高度なものになっていくのが当たり前だろう、と言うでしょう。

このことから、小学部より中学部、中学部より高等部、ステップアップしていない指導計画はダメだ、となります。
そうなると、実情に合っているかどうかは関係ありません。小学部から停滞せず、伸びているんだと帳尻を合わせる系統だった計画の表の作成が必要になってきます。

系統だった表ができたとして、それを指導計画に反映できるでしょうか?たぶん、実際は難しいと思います。子どもの様子からして、毎年どんどん伸びていると実感しにくいこともあり、いつか同じ文面の指導計画が並ぶことになるでしょう。それに耐えられない担任の先生は、「毎年できることが増えた、伸びている」と言いたくなり、実態に応じた目標でないと指摘されようが、「それでも…」と突き進むことが想定されます。

【成果主義】
私は成果主義が悪いとは思いません。

何の配慮や工夫もなく、ただ実践を積み重ねていれば良いとする指導ではと思われる指導を目にしたとき、もうちょっと何か決めて頑張ろうよと思うのです。ただ、これも過剰に反応するとネガティブな影響がでてくるので、一律にやろうとするのも考えものだと思っています。

①できた、できたの上塗りで、実態と乖離し過ぎて身動きがとれない。

②数値化を意識し過ぎるあまり、変な評価基準を導入する。

③何でも目標、達成と考え始めると、評価がだしにくい活動を避けたり、意味がないとする。

④成長が分かりやすい子どもを担当したがる教員が増えるかもしれない。

⑤発達段階表を追うばかりで、生活経験や人間関係などを軽視するかもしれない。

系統だった指導計画は、実態に合わずに無理がでる、子どもは学習を重ねれば必ずできることが増える、という呪縛にとらわれないかと思います。もし、どのような流れですすめるか、今の子どもの段階はどれくらいだろう、と教員自身が学習目標や内容を考えるときに、見通しをもって指導するためのツールとして使うというなら、有効的に働くかもしれません。


https://magomago1.org/475parentsneedsarenotalwaysok202109/
前回は「475)特別支援学校 ポジティブな保護者の方との付き合いかた」でした。