担任の先生より

483)特別支援学校 日常生活の指導、指導目標は低いところで確実に

移動、摂食、コミュニケーションなど、日常生活の指導、自立活動の面が色濃い場面では、どんな目標が妥当なのか考えていました。

結論から言うと、「誰でもできて、誰でも意識して指導できるポイントが1、2個あればいい」です。

以前は、①1つひとつの活動の中で、何か光るものを見つけて取り組む、②1年間のなかで達成したい目標をいくつか決め、そのために日常生活全体をつかって繰り返し、長期的に取り組む、が強くて、これらは間違っていないと思いますが、質的に高いものを入れてしまうと自分以外にできないものがでてくる、指導方法だけ伝えていると、勝手な目標や思いが知らない間にひとり歩きすることがある、などの課題が見られました。

学校で指導するということの特徴は、大人が大勢(多様な人、多様な力量、多様なスキル)、子ども(いろんな学年、実態、個々の課題、みんなの課題)が入り乱れているのですから、そこで一本芯を通して何かやろうと思ったら、公約数を大きくするか、小さくするか考えるしかないなーということになります。

はじめ、私は公約数をいかに大きくできるか考えていました。しかし、人が入れかわる、抜けて足りなくなるだけでなく、場面が頻繁に変わるなどの事情もあり、ルーティンワークの調整と、それを形にするための根回しの負担が大きくなりました。誰でも安全に実施でき、妥当性があり、効果が見込めるものとして、小さい公約数をとって、「できる人を、分かる人を増やす、もっとできる人には付け足す」にしました。

【指導の例】
小さいなかで効果がでる指導形態について、1つ例を挙げてみます。
「ウォーカーにのって廊下つきあたりまで歩き、ごみを捨てて教室に戻る」

A 誰でも目標:歩けば足を使った運動になるので、歩いてきて。
B 少し上目標:横道にそれないで、目標に向かって移動するよう支援して。
C より上目標:好きに移動したら大人はついていかない。大人がいないと不安なので探すよう、ベッタリつかないで距離をとってください⇒児童生徒が大人を意識して、一緒に移動することを学ぶ。

児童生徒を支援するときは、その人の体力、性別、該当児童生徒にかかわった経験や頻度、指導観、その他の児童生徒の指導とのかかわり、などをふまえてAにするか、Bにするか決めて依頼します。

どんな山に登るか、どのコースを進むか、決めてしまうと行けない人は必ずでてきます。

これまで、そのコースに乗れない教員や、その山でない別の山を登ろうとする教員を「できない人」と責めてきたように思います。(言っても聞かない方は、たまにいらっしゃいますが…)

誰でも意味が分かって、具体的な成果は何か分かり、次も続けて取り組んでみよう、ついた先生がそう思えるように、児童生徒の指導の中心になる人が、責任をもってコーディネートする、そんな取り組みを積み重ねてみようと思っています。


https://magomago1.org/482specialeducationschoolcultureisusefulinotherplace202109/
前回は「482)特別支援学校 教員の文化を輸出しませんか?」でした。