教育界のさだまさし先生が希少価値のある人になるために、かけ算をするようにキャリアを積んでいこうという話をしていました。私はこの話が結構好きで、ブレそうになったときYouTubeで「希少性 藤原和博」と検索して観ています。
自分は狙って希少性を身に付けたのではなく、時代や感情に流されて生きてきたので、たまたまそうなった結果論だと思っています。頭がいい人は計画的に成長や経験できる場を選び、ある人は目標を決めてステップアップしていくことを選ぶんだと思います。
【譲らなかったこと】
才能や能力もそれほどない、でも、「ただの人にはなりたくない」と思っていた私はスポーツで他人とちょっと違う強い自分を作りました。おそらく、ここが自分の土台だったと思います。この立ち位置を作るため、これまでで一番もがいて努力したと思います。(愚直に頑張れた純粋な自分だったかも…。)
その上にのっかった自分は会社員でした。これもキャリアの1つですが、残念ながら希少性を生むかけ算にはなりませんでした。なぜなら、ここで自分をこんなふうに成長させよう、何かを成し遂げようという意識がなく、日々を過ごすことに埋もれてしまったからです。
【こうありたい】
「生活に困る人を支援したい」、「生産と消費を繰り返すのではなく、何かを伝えることをしたい」などという思いをもち、会社を退職してリハビリテーション関係の仕事につきました。このとき、介護保険ができて、リハビリテーション技士が必要だと盛り上がっていた頃です。時流にのって、ニーズのあるところに自分を置きました。
次に考えた、自分を活かすことは、教員になることでした。時流に乗って着地したけれど、そこからステップアップしていくには限界があるように思えたのです。特別支援教育が本格的に始まろうとしています。そこに教員養成ルートをまっすぐたどってきた人とは違うリハビリテーション技士という特殊能力をもって乗り込んだら、面白いだろうと思いました。このルートはブルーオーシャンでしたし(今もそう)、収入もあがります。現状で自分を納得させるより、次の階段をのぼったほうが絶対面白いと感じました。
【今】
学校に入って、生活支援者として自信がもてるよう介護のスキルをあげることが必要だと思いました。そこで、介護福祉士実務者研修を受けました。会社を辞めた後、ホームヘルパー2級(現初任者研修)をとり、訪問介護のバイトもしていたので、そこに飛び込むことに違和感は全くなかったです。
これで自分の器も広がった気がしますし、高齢者がこれからどんどん増えていく日本にあって、次のステージは介護業界かもしれないと思っています。この業界なら、指導者にもなれるし、アドバイザーにもなれるし、現場で直接利用者さんとかかわることもできるので面白いかもしれません。
リハビリテーション×学校教育(担任)×介護
それぞれ、たくさんの人が働いている業界で、珍しさはないと思います。これでも、かけ算をすることによって、正確な統計は把握していませんが、おそらく日本で100人未満の人材になれていると思います。
これから60歳に向かっていきます。20代は何かにしがみつかなければという不安が大きかったですが、今はどの業界にも戻ることができ、それらを土台にして他の場所に飛ぶこともできる、選べる自分になれたと思っています。
大事なことは、「1つひとつ地に足をつけながら、やろうと決めたことをやっていく」だと思います。それが足し算でなく、かけ算になって自分の希少性を高めていくことにつながります。今は見えなくても、自分をただの消耗品にしてしまわないで、自身を育てていくことを続けていって欲しいと思います。