担任の先生より

593)特別支援学校 ホワイト革命の先にあるもの

さっき、なんとなく無料の動画サイトを見ていて、「ホワイト革命」という言葉があると言っていました。

そこでは、ネットではきれいな言葉とポジティブな書き込みに「いいね」が集まり、中にいくら真実があったとしてもネガティブな意見は無視されるか、ブロックされるかして届くことすらなく消える傾向があるとのことでした。

【時代背景】
強い経済力があったときに分配された福祉のボリュームは、だんだん縮小されてきていると感じます。
その反面、生活が厳しいと感じる人が増えて国や行政への依存度や期待が拡大してきていると思います。

ない袖は振れない、しかし、国という枠組みは国民から無能で不要と思われるようになったらおしまいです。

袖は振らない、しかし社会の批判を少なくしていきたい、そんな矛盾した考えが行きついた先が「公務員叩き」、「学校へのしめつけ」ではないかと感じます。

確かに、ひどい教員はいました。
暴力を公然と振るう、教科書を読んで終わりの授業、私情で判断基準がコロコロ変わる…などです。

あぐらをかいている教員がヤリ玉に挙げられて、管理と締め付けが強化されていきました。行政機関が公器である学校と、そこに働く教職員を公然とたたくのは、違和感しかありません。

【小さな国家】
今の学校は時代遅れだ、学校教育というシステムでない、理想の教育を作ろう。
何かあるたびに、学校と教員がやれという雰囲気。
教師のバトン、学校はブラックだという教員の声、教員という仕事のステータスの低下。
不登校と、なくならないいじめ。
学校運営のなかで見られる規制緩和の流れ。
止まらない教員の自殺と病気休暇。

内から、外から、これまでの公立の学校教育が突き崩されていくような感覚があります。

国が学校を縮小したんじゃない、国民や教員自身も希望した。
「だから、新しい教育の形を提案します」、と流れるような気がします。

50年後くらい先には、「昔は、どの子も学校に集まって勉強していたんだよ。」みたいに、昔話になっているかもしれません。

【ホワイト革命】
現実はブラック、ネットではホワイト

いくらホワイトな感覚で生きようと思っても、現実がブラックなままだと、心はどんどん疲労します。
そんなとき、「心が壊れそう」、「この職場環境はおかしいよ!」と声に出しても、誰にも届きません。

耳障りのいい言葉が「いいね」、ネガティブで本音だらけの言葉は「ブロック」、「ミュート」です。

本当に、それで大丈夫ですか?
世の中は変わるもの、形はどんどん変わります。
そんななか、悪いことは何もない、ポジティブに考えればいいんだ、と思考を停止させてはいけないと思うのです。