学校の文化 担任の先生より

608)特別支援学校 「人が足りないのは理由にならない」

教室にいる教員について、必要な支援や安全を確保するために十分でないことがある。

これについて、このブログの比較的はじめの方で書いたことがあります。この意見は教室にいる担任目線で、それを指導・監督する立場からどう捉えているかは述べていませんでした。

今年度も、かなり過酷な指導体制を強いられてきまして、それに対するバックアップが十分行われてこなかった経緯があるので、それを自分なりに整理する必要があると考えました。

【教員の人数は、子どもの数から】
発作などへの対応を除いて、どちらが2時間1人で指導(または見守り)をすることが難しいか、です。

同じ教員1人と子ども2人の場合で、片方は中等度の介助を必要とする介助歩行レベルの子どもがいるクラス、もう片方は起居動作も介助が必要とする子どもがいるクラスです。

どちらも手をかければ大変なことに変わりない、どちらも大事な子ども、などということは除いて考えてみるとどうでしょう?運用面で考えると、私は中等度の介助を必要とするクラスのほうが難しいと考えています。

【中等度介助の子どもが難しい理由】
①教員の価値観によって介助量や、接する態度について対応が多様になり、方針を決めて進めるのが難しい。
②中等度なので、どこを介助し、どこを主体的に活動させるか取捨選択に専門性が必要。
③自主的に動ける部分があるので、二人介助の状況にならず、介助者1人で対応することが多い。
④転倒などの事故が起きやすい。(動けるけれど、任せられない)
⑤交代で指導することが、重度のお子さんより線引きがしにくい。
⑥動けるが故に、見守りの状況を理解してもらいにくい。(動けるのに、座らせて指導していない、など)
⑦なまじ動けるので教員1人体制が主になるので、指導内容や子どもの実態を共有できるチームができない。

このような学級の場合、登校から下校まで教員1人で対応すると、心身ともに疲れ切ってしまいます。これが子ども3人だと、1人で待たせることがなく、一緒に順番を待っているなどの大義名分が成り立つので、逆に学級経営がしやすくなるかもしれません。

【質を求めると、指導が成り立たない】
マンツーマンが常に質の高い指導ができるかといえば、必ずしもそうではありません。しかし、指導目標と、それに向けて最短距離の指導がマンツーマンだとすると、もう1人(またはそれ以上)を待たせるか、誰かに託すかしないと実施できません。

介助負担が大きい、複数のタスクを同時に処理し続けるのが難しい、そんなときは指導体制の編成を変えるか、応援の教員を依頼することになります。

【人が足りないのは理由にならない】
どの学年も、教員定数を決める標準法に基づいて配置されています。そのため、内情がどうであろうと敵性配置がされているということになっています。実際は人数的に、子どもの実態的に、指導内容的に、教職員の力量や相性などの要因で必ずしもバランスがとれているとは言えません。

もし、応援を出すために穴を開けたところで事故が起きたら、応援を要請された学年から反発を食らうかもしれない、応援に出せるだけの力量をもつ人がいない、といった状況のときに出る拒絶の言葉が「人が足りないのは理由にならない」です。あくまで適正配置なのだから、それでやれということです。

大きすぎる不公平感や不平等は職場内で不満として蓄積されていきます。その年は仕事だからとガマンするでしょう、しかし、その次の年も同じ場所で仕事をしたいと思うでしょうか?