学校の文化

613)特別支援学校 引継ぎ裏帳簿

慣例や前任者の意向と異なる意見を主張することは、学校での自分の立場を悪くすることがあります。
主張するなら、それ相応の後ろ盾や、多数の支持があることが必須です。

主張なんてとんでもない、平穏に仕事をすることを前提に、物事を考えないと、というのは大人の意見です。

では、言うと身近な権威に楯突くことになる、しかし言わないと次の世代や子どもに迷惑がかかる、といったときどうするでしょうか?

実際に私がやった二つのパターンについて書いてみます。1つは児童生徒の指導方法や実態について、もう1つは校務分掌などの学校経営に関する仕事について、です。

【児童生徒に関する引継ぎ】
引継ぎの中で、自分のしていた指導を否定されたくない、自分の指導が適切でなかった、などは受け入れ難いものでしょう。しかし、きちんと子どもが足場を固めて、1つずつステップアップするには避けて通れない問題でした。会議形式の中では、場を荒立てないように「こんな子どもです」、「こんな指導をしてきました」と淡々と話をしました。

しかし、何が十分でなかったか、本当にしたかった指導はどんなものか、課題は何なのか、こういった情報はどうやって伝えたらいいのか…。当時の自分にはどうしていいか分かりませんでした。そこで、リハでやっていた他院への引継ぎ文書のようなものを作って、次に進学する学部教員に託すことにしました。

文書は形に残るので、それが自分の前任者に渡ると論争のもとになるので、適切な手段とは言い難いですが、自分なりの正義を遂行するには、それしかありませんでした。

その後、進学先の学部でどのような指導が行われていたか気になって、そっとのぞいてみていました。

「あ、自分でできることを抜き出して、自分でできることに取り組んでる」と分かりました。誰でも実態を見ればそうするのが当たり前と思われるかもしれません。しかし、自分の引継ぎ文書が役に立ったかもしれないと思うと、救われた気持ちになりました。

子どもの実態についてどう捉えるか、どんな指導をするか、子どもとどんな関係を築いていくか、などは教員によって違います。違うのは当たり前ですが、許容範囲から著しく逸脱したものは容認しがたいです。

【学校経営に関する引継ぎ】
前任者が何も資料を残していなかった。これは異動する教員はしてはいけないことだと思っています。
手順や範囲を示しておくだけで、漠然とした不安を増幅させることなく、簡単にできるものなのに、なぜ…。

教員社会で残念だと思うのは、引継ぎ書類の作成が下手な人が多いことです。

子どもの指導では、具体物を示して、具体的に、流れに沿って、見通しがもてるように、などと言うのに信じられないレベルのものが存在します。大抵は「WHAT(何)」はあっても「HOW(どれくらい、どのように)」がありません。これでは報告書はできても、仕事を進めるためのガイドラインにはなりません。そういう引き継ぎ書を作る方がいるときは、自分なりに次の人が分かる引き継ぎ書を作成しておき、その先生が異動されてから書類をそっと差し替えておきました。

異動してしまえば、次の仕事のことで頭がいっぱいになります。指導したことのある子どもはさておき、校内の仕事がどうなったかまで気にする人は、ほとんどいないと思います。

何を大事にするかですが、次につなぐ教員が困らないようにすること、自分のエゴを押しつけないことだと思っています。