学校の文化 担任の先生より

614)特別支援学校 学校の体制でたー

3月末には、次の年の教員体制がでます。
教職員に向けた告知の方法は紙で配布、個別で伝えて終わり(紙は年度始まってから)、端末上に表示、などです。
校内発表の時期は学校によって違うので、早いところは3月第二週、遅いと3月最終週なんてことも。

【発表告知】
今年の発表の告知も、端末上でさらっとでした。
「本日、指導体制を出します」みたいな。

え?
早くない?

予想は18日の会議のタイミングかなと思っていたんです。

う、心の準備が…。

【発表】
データででるんですが、学部ごと、校内の分掌組織など、複数のデータに分かれています。
とりあえず、今いる学部のをぽちっと押してみました。

このとき、「ええぇー」ななんて感嘆詞がでたりすることもありますが、今年は沈黙でした。ここで注意なのは、人によって「やったー」の人、「うそ、こんな、ひどい」、「こんなもんか」などの感情が交錯しているので、下手なことは言えません。感覚より事実で隣の人と「ボソっ」と挨拶するのがよくある反応です。

「変わります」
「お疲れ様でした」
「引き続きでしたね、よろしくお願いします」
みたいな、淡々とした感じです。

とりあえず、今みている学級は、次に誰がみるんだろう?を確認する人が多いと思います。
自分の指導してきたことがどうなっていくのか、誰にどう引継ぎをするのかにかかわってきます。
あとは、身近で仕事をしてきた人はどこにはまっているんだろう?
ちょっとクセのあるあの人は、どこで落ち着くことになったんだろう?
そして、自分はどこに行くことになるのか確認します。

同じ学級を引き続きもつことになると、見通しはもてるのですが、惰性にならないか心配になりますし、新しいメンバー(教員)との関係のなかで、どこまで従来の指導を工夫する必要があるかと考えます。

もし、持ち上がりでなかったら、誰が、どのように自分が指導してきた学年や学級を運営するのか想像します。おそらく、指導内容は次の担任ができることを、できるように変更すると思います。指導力に信頼のおける先生なら、「新しい先生と、新しい価値を見出せるよう頑張れ」と思えるのですが、そうでなければ、自分が積み上げてきたものは何だったんだ?と怒りがわくことも。

それが近年、なぜか自分の指導について思い入れをもつことが少なくなり、怒りの感情をもつことは少なくなりました。どんな出会いでも、どんな学習環境でも、それは学校生活にありがちなエピソードに過ぎないと、自分を納得させることができるようになったんだと思います。

次年度、他の部署に異動することになりました。
新しい場所、新しい同僚、新しい子ども、新しい職場ルールに頭を更新していくことになります。
これって、かなりストレスなんですよね…。

まだ、今年度は終わっていません。
次年度のことは顔に出さず、修了式までふんばるつもりです。