医師・介護・看護 担任の先生より OT・PT・ST

641)特別支援学校 様々な価値と専門性が行き交う学校でどう支援するか

今日、障害者や高齢者介護を学んでいる人から、「自立支援」についてどう考えるか、というお題がきました。

どうやら、日本の介護について、外国の方に説明する機会があるらしいです。

全く違う専門性をもつ人や職種の方と話すとき、私はいかに持ち札を持ちよれるか、チームとして機能するか考えて話すようにしています。以前は、いかに自分の専門性を発揮することができるか、職種の専門性をこの場でアピールしよう、専門性を活用して役に立とう、何もしなかったと思われたくない、などの感情が渦巻いていて、気持ちに余裕がもてなかったです。

その元凶は何かというと

「利用者さん(児童生徒含む)を中心に、様々な専門性をもち寄ってチームで支援する」、「専門性を活用しよう、というミッション」だと思います。チームはいいのですが、まとまりなく専門性をもち寄ると、パフォーマンス合戦やマウントのとり合いになることがあります。また、専門性を形にしようと頑張り過ぎると余計な仕事を増やし、各々の掲げた目標が乱立することがあります。

医療であろうと、福祉であろうと、学校教育であろうと、それぞれの枠組みを形作る制度に基づいて活動しています。専門性や価値観や、個々の力量や経験の差があるので、足並みが揃いません。その経験から、どうやって合理的で、無理なく、効果的な支援によってハッピーになれるか悩んできました。

【私の回答】
文字を入れたのはスマホからで、文脈や話の展開を確認しにくかったのですが、頑張って入力しました。

・私は多様な職場と、多様な専門性をもつ支援者のなかで、どう自立支援をとらえてきたか。
・いろいろと理想的なことが制度の中で盛り込まれてきています。建前や言葉遊びはさておき、結局現場にいる人は利用者さんと支援者で、リアルな環境のなかでどうするか、です。

問い
◆利用者さんの主体性を引き出せない支援者は無能か?
◆利用者さんの残存機能やリスクを理解しきれていない支援者は不適格か?
◆生活介護と自立支援の境界線をきっちり引けるか?
◆利用者さんの心身機能を維持・向上させるヒト・モノが常にポジティブに準備できるか?
このような問いを投げてみました。支援は理想を形にできる人しかできないものか、支援するために必要な情報を誰がまとめて伝えるか、人の生活は日々変わるもので、もっとゆったり流れるものだ、限られた資源しかないのに理想形ばかり追いかけると利用者も支援者も摩耗する、と言いたかったのです。

・私が意識しているのは、利用者だけでなく、そこにかかわる支援者も同じ環境として捉え、いかにチームとして機能しているか把握し、修正点は根回しで整え、不足分はどう埋めるか、マネージャーみたいに考えてまわしてきました。(支援者を利用者さんのための奴隷にしない)

・まずは制度やいろんな枠組みのなかで、利用者さんがどう生きていくか、どんな環境でなら安心して、もっている価値観や生活習慣を維持できるかヒト・モノ・サービスを対話や配慮で整えていきます。これなら障害の有無や、障害像にかかわらず、みんなに使える価値だと思います。

・支援の全容はICF、体調などに配慮しながらどこまで利用者さんの活動を促すか、その根拠としてICD10を意識して支援しています。

・結局、1人で全部はできないですし、偏ったチームだとウィークポイントが出ても埋められません。拡大版むぎわらの一味で、利用者さんと歩む、が私の考える自立支援ですかねー。

・ただし、これは医療や福祉など、偏りなく専門性を尊重し、理解を示す人が間にいないと厳しいかもしれません。

・利用者さんも、サービス提供だけじゃなく、人のなかに自分もいるんだっていう安心感がないと、意欲もクソもないと思うんです。

【備忘録】
思いつくまま打ち込んだので文章的にひどいですが、言語化しながら自分はどう思っているんだろう?と考える機会がもてました。専門家として、支援者として、人として、何を大事にするかは時間とともに変わってきます。今はこんなことを言っていましたが、10年後はどうなっているか、怖いけれど楽しみです。