医師・介護・看護 学校の文化 担任の先生より

671)特別支援学校 支援者の状況もふまえた研修づくり

図書館で借りてきた本を見て、高齢者用のグループホームの予定表が出ていました。その施設の予定表には起床から始まって、排せつや体操、食事などが列挙されていました。

この予定表は、規則正しい生活をする、利用者さんが見通しをもつことなど、利用者さんのためだけでなく、支援者(介護職)が入ることができるように組まれたものでもあります。同じ三度の食事があっても、朝食は7時30分からと決められているのは、夜勤と早番のシフトの都合があったりします。「ちょっと昨日は寝付けなかったから、9時くらいに食べたい」などと言うと、ワガママだとレッテルが貼られてしまいます。

もし、利用者本位の生活を保証する、という覚悟があるなら、手だては二つしかないように思います。

あくまで個別対応が基本になるので、随時対応ができるよう、人員を増やして層を厚くすること、または利用者さんにかかわる職員のルーティンワークを最小限にして、随時対応できる余白をつくることです。

【学校でも同じことが起きている】
目の前に、子どもが1人いるとき(保護者面談やケース会議も含む)、その時は1人にターゲットが絞られているので、いわゆる個別最適について話し合われ、話し合われた内容が「よいもの」として実行にうつされます。

でも、このとき私が確認することは、誰がする?いつする?どう実行にうつす?(集団と、一緒にいる子どもも含めて、頻度は?人が変わってもできる?です。

その子のために、組織のために、安全で効果的なことを意識して取り組むことは悪ではありません。しかし、集団や支援者の実情を度外視したものはリスクを含む「悪(みかけは善)」となって、支援を実際に行う支援者にのしかかってきます。

【基本は集団】
(ユニット型などの)介護にしても、特別支援学校にしても、支援者<利用者という数の割合は同じで、支援者がバランスをとって切り回していたとしても、救急や排せつなどの個別対応が入ると、支援のバランスは一気に崩れ、目の届かないリスク、手がかけられないリスクが迫ってきます。

それでも、質の高いことをしようとするなら、随時利用者と支援者の状況をみて支援の内容や組み合わせが変更できる、支援の目標や方向性が共有できる、支援の内容について根拠が共有できる、このあたりがないと、厳しいと現場でいながら強く感じました。

学校は授業時間や内容について制約があるので、実際は個別対応できるキャパが少ないと思われます。高齢者支援は個々の体力(筋力、大きさ)、頑固さ(自己決定)に対応する瞬発力が必要で、学校は個々の動きや流れの違いをまとめる調整力が必要だと思われます。

【ローコンテクストな研修】
このような現場の実態があることを知っているので、個別のケースをとりあげて、こうやればうまくいきます、と紹介するのは、良し悪しだと思っています。聞く側にとって、支援に関する課題の発見から、評価(アセスメント)、支援内容の決定、支援内容の共有、結果までの流れを理解することが大事だ、チームにネガティブさが強く蔓延していて、うまくいく希望をもつことが必要だ、こういうときは事例を持ち出してもいいと思います。

そいうでなければ、個別の事例検討は「利用者さんごとに違うし、今直面している問題に関係のない他人様の事例をみて、意味ある?」、「その取り組みは、私の好みでない」となったら、研修の空気は一気に冷めていきます。

いつか、類似したケースにあたったときのために聞いておこう、違う視点を知ることで自分を見直そう、そんな意識をもって聞いてくれればいいのですが、日々の仕事に追われているなかで受ける研修、そんな余裕がないことも分かります。

そのため、今回とりあげた研修の形は、この場面(例えば食事介助)はこんなプロセス(経過)をたどるもので、場面ごとに確認するポイントはここです、と列挙する形をとりました。私の経験や価値は、それを具体的に理解するための材料として、刺身のツマのように適宜いれました。

どこに利用者さんの課題があるのか、支援者自身が1つずつ確認できることが大事です。研修を聞いている段階で、「もしかして、問題はここと、ここかなぁ?」、「はっきり分からないので、実際に確認してみよう」となれば幸いです。

結局、利用者さんを長い時間と、単発でない繰り返しで支援する人が分からないと、納得できないと、生活場面では時間を味方につけた支援は望めません。いくらえらい人が言っても、いくら正しいであろうことを言っても無駄です。研修をするときは、利用者(児童生徒含む)さんがいかにベターになるかだけでなく、支援者という環境面も含めた研修をしないと、形ばかりの研修になってしまう気がします。なので、感情をかなり排除した、観点の提示、客観的に説明できる基準の提示を主にしてみました。やさしくないかもしれませんが、いろいろな意味で現場は感情にひっぱられ過ぎてしまいがち、時々はローコンテクストな話を聞くことで支援を客観視する機会がもてたらいいなと思っています。