教員の仕事はブラックだ、きついなどと言うな。そんなことは分かっていたことだろ。
民間企業でもあることで、教員だけが特別という訳ではない。
子どものためなんだから、それが仕事でしょ。
そんだけ給料あるんだから、当然。
そんな意見が聞かれます。
とはいえ、教員になるとき、教員の仕事の全容を把握していた訳ではありませんし、なったときは今ほど厳しい職場ではありませんでした。なってから段々と厳しくなっていったと思います。
民間企業で働いていたことはありますが、通常の仕事について、ここまで形ある仕事と形のない仕事が肥大しているようなことはありませんでした。本音と建て前のギャップが大きいのも特徴的です。ちょうど、市民のクレームの窓口になりがちな某市役所の市民課と同じで、そこにいるだけで市民のパンチバッグになることを宿命づけられたような感じがします。あちらを立てれば、こちらが立たず、が日常茶飯事です。
なので、とにかく謝ってしまえ!となりがちです。
【全体的にそう?】
それでも、どうも働く人にとって過酷さを感じさせるものって、何だろうと思いませんか?
競争に勝ち抜くため?
様々な電子機器等が発達したのに、労力が減るどころか、かえって増えている?
体を使うことより、頭を細やかに使うことが増えて、メンタル的に疲れている?
先行き不透明なので、不安が増大している?
自己責任がきつくて、誰かに責任を負わせないとやっていられない?
誰かに依存したい?
頑張っても報われないので、満たされない?
誰かと比べて焦っている?
何をしたらこれでいい、と決められない?
これらのイライラを、手っ取り早く解消する方法の1つが教員叩きだと思います。
彼らは公務員で全体の奉仕者なので、国民の多くが満たされるようにするのが仕事。
叩くと逆に謝ってくるし、逆襲してこないから、パンチバッグにしても大丈夫。
なまじ高い給料をとっているので、少々叩いても罪悪感はない。
通過儀礼でもないし、昔のように成績をあげても競争に勝ったと言えない。何のためにいるの?
不安を軽減させるような、能力をつけられないのは、怠慢だよね。
お上に言っても暖簾に腕押し、教員だと身近なので、訴えたっていう実感ある。
書いていて、ちょっとうんざりしましたが、何から始めたら状況は良くなるのでしょうか?みんな自分を守ることに必死です。「発展・進化しろ、さもなくば死だ」と言わんばかりの追い詰められた感、どこかで許し合わないと、どこかで1つずつ、大事なものが崩れていきそうな危うさを感じます。