担任の先生より OT・PT・ST

683)特別支援学校 作業療法士が特別支援学校に入って、マズかったこと

先回は「作業療法士が特別支援学校に入って、良かったこと」ということで、医療機関で働く作業療法士にないメリットをいくつか列挙してみました。今回は、デメリット的なところを書いてみます。

お金かやりがいか、医療か生活か、など、学校で働くなかで様々なギャップやジレンマを感じました。それらをどう解釈して納得させるかは自分次第だと思います。周囲の先生は明らかに別の価値をもっており、自分とはちょっと違う子どもの見立てをしているようでした。その違いは面白くもあり、腹立たしくもありでしたが、その化学反応は自分の中で起こり、子どもへの指導を変えました。これが、医学モデルと生活モデルの融合だったのかなと思っています。

様々な職種が自分の専門性を確立し、高めていくうちに公約数をなくしていった状態から、あえてそこをくっつけて公約数をつくる、それが学校作業療法なのではと感じています。ただ、学校に作業療法のよさを持ち込む、共有する、そんな表面的なものでは、「学校は様々な役割を果たしています」という客寄せパンダにされてしまうのがオチです。

それぞれの職種は、それぞれの役割をきっちり果たす、しかし、誰かが接続して、調整しないと支援の輪はバラバラになってしまいます。学校において、作業療法士はもっと間に入って泳がないと、縦割り組織のコマになってしまうでしょう。

今は分かりませんが、15年ほど前は医療職の人間を学校に入れようと間口を広げた時期でした。教員文化に入ってくるよそ者のように、風当たりは強かったです。「あなたは、その分野のことをすればいい」、と専門性の補完に入りましたが、学校生活そのものに受け入れられるには随分時間がかかりました。冷たくあしらわれても役割として与えられている以上、そこから退く訳にはいかなかったのです。

【デメリット】
専門家になりきれません。子どもの発達や成長、キャリア形成などもふくめて、チームをつくって指導をすすめる、当たり前のようですが、ここにたどりつくのに、どれだけの労力をかけねばならないか…(泣)とにかく仕事の種類と範囲が広すぎることが、専門家としての仕事を難しくしているか。

これについて、私は子どもの指導をしっかりやりたい!と宣言してしまうのもアリでしょうが、そこにはガラパゴス生活が待っています。経験上でいえば、書類などの仕事は自分でマニュアルと前例をファイルしておき、降りかかってきたら時短で済ませ、自分が時間をかけないとすすまないであろうことに力を入れる、が最も周囲との摩擦を避けつつ仕事ができる方法だと思います。

ここで注意したいのが、私もミスりましたが、そこまで自分が到達していることを知られないことです。処理できるところに仕事が集まり、負荷の高いケースがまわってきます。気が付けば、身動きがとれない状況に陥ってしまうかもしれません。管理職が変われば、待遇もかわるだろうと期待することもありましたが、なんらかの形で教員のキャラクターは記録されていると思われ、一旦ハマると抜けられないです。逆に、デキない奴と思われれば、フォローの効いたぬるま湯で過ごせます。

【オチ】
教員はお金を稼ぐための職業の1つとして割り切るか、学校という与えられた場のなかで指導力をいかに発揮するか、このあたりがリハビリテーション技士が学校に入ったときのジレンマになりがちです。また、1人で縦割りの役割を果たすか、あくまでチームの一員として機能することを求めるかも選択肢になってきます。

丁寧に仕事をしていると自己矛盾に気づくことも多く、そこにはまると自分を蝕んでいく可能性があります。深く考えない、自分のできる範囲を決める、そこがロングランできる条件だと思いますので、真面目な方はご注意ください。