学校の文化 担任の先生より

701)特別支援学校 自分に何ができるか、から考えると

職場のなかで、「自分はこんな仕事がしたい」、「自分はこんなことができるから、実際にやってみたい」と思うと、実現できるための時間や教材(道具)の確保、自分やチームのメンバーがそれを実行するための体制の調整が大なり小なり必要になってきます。

自分のしたい仕事について、保護者や同僚に説明しなければならないこともでてくるでしょう。指導観などが合わなければ、話し合うこともでてくるでしょう。

学校では、自分の仕事がキツくなってもやり遂げる意思(自己完結)がなければ、周囲との協調が不可欠です。

ということは

◆自分の仕事が増えて、きつくなるのを受け入れる必要がある。

◆乗りかかった船になるので、中止するか、改善案を出し続けるか判断する必要がある

◆保護者や他の教員の理解を求める必要がある。

◆協働するなら、技術指導や実施に必要な体制を工夫する必要がある。

手をかければ、子どもが変わりそうだ。しかし、周りの先生は現状維持、全体の協調を主張して改善させる気がない。そんなとき、諦めずに手をかけて、子どもは成長しました。しかし、同僚からの風当たりがきつくなりました。指導観の違いは埋まることがなく、粘着的な屁理屈をあびせられて大変でした。今思えばこうしたのに…という案件はいくつもあるのですが、あの面子に対してだと、いまだに対応が難しいと思っています。

なので、思いは伝わる、指導の改善を継続的に続けたい、という純粋な思いは通用しないことがある業界(職場?同僚?)であることを飲み込むことが大事です。

【スタートラインの設定の仕方】
上記のような案件は、「わたし」という個人から発生した教育的ニーズです。

この、指導者が持ちがち(子どものアセスメントができるようになってきたら尚更)な目標設定はさておき、学年や学級のなかで過ごすなかで必要だと思われる項目を目標にすると考えたらどうでしょう?

各段に周囲の協力が得られやすくなりますし、集団の指導の中でも手をつけやすい指導方法がうまれると思います。そこへ、私が考えるニードをちゃっかり付け足せたりできれば、ベターだと思いませんか?

【助言者の配慮】
助言者は、ちょっと見ただけで(意識して観ない限り)、集団のニーズを掘り起こすことは難しいと思います。なので、アセスメントを求められる子どもの評価に集中し過ぎず、教室全体の評価(教員・子ども・室内環境)を重点的に行ったうえで、対象の子どもがどのように動いているか観察したほうが、受け入れられやすい情報提供がしやすくなります。勿論、対象の子どもにとって重要な目標を二の次、三の次にしてしまう可能性があり、そうなる場合が多いです。

学級等の指導体制が対象の子どもに寄せる余裕があれば、どのようにでもできるのですが、担任を集団の指導の輪から孤立させるかもしれないという懸念(担任が手一杯、お局様がいる、先輩教員と一緒に指導している、など)があれば、「みんなで少しよくなる提案ができれば良い」という不完全燃焼的な助言・指導を提供できるような度量と柔軟性が必要になります。