担任の先生より

767)特別支援学校 たたく、ひっかくとの遭遇

学級担任をしていると、児童生徒から叩く、かみつく、引っ掻くなどに遭遇することがあります。

A:「今日、あの子に噛みつかれちゃってさぁ、ほらこの腕見てよ~」
B:「あぁ、先生に伝えたいことがあるんですよ、信頼されているってことでしょ」
A:「う~ん、そうかもね~、うまく伝えられないから、こういう手段にでちゃうのかな」
B:「カードとか、何かコミュビンケーション手段があるといいんですけどね~」

伝えたいことがある強い思い、コミュニケーション手段のひとつとしての他害

それもあると思うのですが、ここで止まってしまうと、担任のかかわり方に関する問題提起で終わってしまいます。

日々かかわるなかで、変化を言語化し、仮説をたて、これだろうという問題点をピックアップし、提案事項や指導方針、指導方法を考えていく過程が大事だと思いました。

それは、前に担任をしていて、教員をたたく、つかみかかるなどが始まった子どもとかかわったことで学ぶことができました。

【他害がなかった頃】
他害が始まるまで教員からの指導があると、聞き入れず頑としてマイルールを貫く50%、聞きたくありません的なジェスチャーでスルーが20%、妨害されたことへのストレスで床に転がって泣き叫ぶが20%、促しに応じるが10%という感じでした。

今思うと、教員の働いかけは「こうしましょう」といった提案で、どうするかは子どもの判断によって完結する、「刺激⇒反応」に近いものだったと思います。

周囲を見ないで思うがまま振る舞う様子を見て、教員サイドは「最後に思いを叶えてあげれば落ち着く」「こだわりだから、無理に止めると意地になる」「こだわりが続いても、ちゃんと待ってあげようよ」などの、穏便に済ませる指導が続いていました。

【叩いてきた】
それが、叩いて抗議するようになったのです。
一つの成長の証だと思われ、ちょうど「刺激⇒反応⇒対応」のような、相手を意識したキャッチボールの入り口に立ったのかなと感じました。

かといって、不満に感じるたびに他人を叩いていたら、体力がついてきて他害の程度が強くなったら、傷害事故になりかねません。

叩けば大人は妥協してくれる、叩けば自分の思い通りになると学習してしまったら、誤学習の積み重ねで、手に負えない存在になってしまうかもしれません。

変化したというのは学校だけなのかな?と思い、保護者に確認をとったところ、家庭でも同じようなことが少し前から始まっています、との返事を頂きました。発達的には伸びているのかなと思いますが、容認できないことです。

してもいいことは推進する
どこから、どこまでは良いと伝える
何がダメなのか、どこからがダメなのか基準やタイミングを決めて、伝える
他害による訴えに応じない(間接的なら、歩み寄りになるかなと思います)
ルールを明確にして、伝える

【分かりやすくする】
日本は暗黙のルールが多い国、と思うことがあります。

「思い通りにいかないことがある」、「共通のルールやマナーを体験的に学ぶ」積み重ねで、社会化されていくのだと思います。

その積み重ねができなかったら、どうふるまっていいか分からない、となるのは至極当然だと思います。

他害そのものの意味や影響をふまえつつ、どうしたら他者と平和に過ごせるか?そのためには、指導方法論やテクニカルなことだけでなく、他者と他者と押したり引いたりする経験の積み重ねが大事なのだろうなー、と思います。