特別支援学校では、食べる、排せつする、移動するなどの場面において、毎日同じことを繰り返すことが多々あります。数回やって、「あ、分かった、こうするのね」とステップアップすることは、そう多くなく、毎日とにかく同じことばかり言っている気がします。
最近言っては行けませんと言われている言葉、「何回言ったら分かるの」、「もうやる気がないんですね、さようなら」を言いたくなる気持ちも分かります。それだけ成果に追われているか、できて欲しいのに何故応えてくれないのと思っているか、あたりが強いのかなと思います。
できる素地がどこかにあれば、少しできるようになる、スムーズにできるようになる、かなり自分でできるようになる、のような変化がでてくることがあります。
やっている指導が的外れだったと諦めることもあります。
やり方がマズいのかなと視点や指導方法も変えることもあります。
とにかく、指導していて辛くなるなら、目の前のことにとらわれないことも大事だと思います。
【作業療法士の場合】
では、大人だったらできるのかといったら、そうではありません。
作業療法士の養成校にいたとき、福祉用具の授業がありました。そのときの指導教員は精神科がメインです。うまくはないだろうけれど、使用方法が分かっていれば、リスクマネージメントができていれば、事前に確認できていれば大丈夫だろうと思ったのです。
OTの教員が「誰か、患者さん役になってくれる人」と言ったので、学生がリフトに乗ることになりました。
教員がフックにハンモック(?)をひっかけて、吊り上げた瞬間、「ドスン!」学生が床にしりもちをつきました。操作していたOTの教員は「ひぃー!」と声を出しました。
リフトなどの機器を初めて使うとき、自分で納得するだけならいいのですが、実際に人の前で説明したり、人に協力を得て実践するならば、説明書を読み、手順を一つずつ確認し、そこに実際の人が入ってきたら、どんな言葉をかけながらスタートからゴールまで到達するかシュミレーションできていることが重要だと思います。作業療法士の免許があるからといって、身障・老人・発達・精神のどれでもうまくできるんだ、と思うのは間違いだと思います。やっぱり、経験と熟達があってこそだと思うのです。
【教員の場合】
介護技術や福祉機器の使用も、多様な児童生徒が学校に入ってくるようになり、いろいろなものが目につくようになりました。「引継ぎをしたから、安全に、適切にやってください」「これなら一人でできますね」などとよく言われるのですが、学校の教員の知識や技術や付け足しのものが多くなっています。やっぱりここでも経験しないと、熟達しないと難しいことが多いです。
知っている人は、知らない人、熟達していない人の気持ちを忘れていることが多いと思います。初めて、目の前に置かれている機器を見た時、どう感じたのでしょう。マニュアルを見なくてもできるようになって、その気持ちを忘れてしまっていませんか?
知らないを共有すること、知らないから知るまでのプロセスがイメージできること、これらがあってはじめて、自信をもって臨める人を育てることにつながると思うのです。