担任の先生より

859)特別支援学校 擬音語の使用

曖昧な表現は、児童生徒を困惑させることがあります。

例えば、「ゆっくりする」、「やさしくする」、「少しずつ」などです。ニュアンスとしては分かるのですが、どれくらいの程度なのか理解しにくいところがあります。そんなとき、「(ゴールを示して)ここまでやる」、「1ますずつ、蹴って進む」、「10数える間」など、具体的な距離や時間でもって情報共有を求めていきます。

【それでも、曖昧さが必要なとき】
しかし、指導の間に力加減を求めたいとき、どうすればいいのでしょうか。

曖昧さや、0でもなく100でもなく60位を求めたいときどうするか。

見ていて、もう少し調節すればできるのに、あー、もどかしい!と思うことがあります。そんなとき、あえて曖昧な表現を投げてみて、それでどんな結果になっても責めはしない、まずはやってみようと促すことがあります。そこで行動してくれたら、第一関門突破です。

【擬音語の登場】
第一関門のアクションの結果と状況はどうだったか観察しておきます。

望ましいと思うゴールに近づけるために、何が必要だったでしょうか?向きでしょうか、軌跡でしょうか、速さでしょうか、力でしょうか、フォームでしょうか。

分からなくても、何か一つテーマを決めて、一緒にやってみようモードになります。「さっきは惜しかったね、今度は、的を狙って「ふんわり」と投げてみよう」などと言ってみます。

ふんわりの意味が分かれば、初回のものより調整されると思います。調整が効きすぎるのか、足りないのか、やってみて調整します。「もっとふんわりしてみよう」「ちょっとふんわりし過ぎちゃったね、もう少し勢いをつけてみよう」などです。

まるで、カレーとご飯の量を調整し続けて、際限なく食べていくような話ですが、0でもなく100でもなく、工夫して取り組んだ経験は指導する側、指導を受ける側の両方にとって有益だと思います。

擬音語や擬態語の利用について、「幼児に対する対応のようだ」と批判する声があることを知っていますが、曖昧なものを把握することがいかに難しいか、現場の先生方は知っています。

人の文化は数値や枠組みだけで把握できるものではありません。スイッチのオンとオフだけでない微調整をいかに経験し、理解できるようになるか、知恵を出し合ってクリアできればと思います。