学会の発表のなかで、「なんとなく作業活動を提供し、その場は和やかに過ごし、周りからもOTっぽいと思われるが…その作業はクライアントにとって本当に意味ある作業なのか?」
これについて、学校の教員にも同様のことが当てはまると思い、耳が痛い話だと思ってしまいました。
どんな治療(授業)でも、個々の対象者(児童生徒)の評価したこと(実態)に合わせ、長期・短期目標(年間指導計画)に則ったものかといえば、胸を張って常にそうだと言えないのです。
【枠・時間の制限】
やるべきことはこれ!と決まっていて、要する時間は15分だったとします。
リハなら20分の枠、学校ならば45分(50分)、この枠を守らなければなりません。枠を埋めきれない時間をどうするか、これは共通のテーマではないかと思います。
学校では、排せつ(トイレ)の指導、水分摂取、本を読む(一人課題)、次の授業の準備をして待つ、などが手だてとして選択されますが、リハでは、「目標に準じた、異なる治療方法を選択」「患者さんの体力に負担がかからない方法を選択する」「会話による情報収集」などが行われるのではないでしょうか。
とにかく、枠を守らなければならないこと、何もしない訳にはいかないのは同じです。ただ、学校では複数の子どもが同じ空間にいます。個々に納得して行える(座っていることも含む)ものがないと、何をしたらいいか分からなくなり、諸問題が起きることがあるので、その点で学校のほうが難しいかなと思います。
【何をしたらいいか分からないことも】
何をしなければいけないか、何をしてはいけないか、きちんと定まっていないときは、自信をもってタスクを提示できません。もう少し頭の中が整理されたら…と思っていても、治療(授業)の時間は待ってくれません。
リハでは評価することを目的にかかわってもいいですが、教員は新しい学校にきたとしても、初めて出会う学級であっても、大部分を分かっているような顔をして授業をつくり、運営して、そのなかで見えたものを情報として蓄積することになります。
「評価しながら治療する」のような状態が常になる学校なだけに、頭のなかでこの集団はこうで、個々の実態はこうだと頭の中で整理できるまで時間がかかります。その点で、学校のほうがもどかしさを感じるかもしれません。
【学校の教員と作業療法士の相違点】
学校では対象者の気持ちや体力に余力が少なくなっても、45分(50分)の枠を守るとされていますが、リハの場合は20分、40分と患者さんの状態に応じて時間的な枠組みを調整できます。
同じように時間的な枠がありますが、運用面で難しいのは学校だと思います。対象者(児童生徒)の実態にかかわらず、決められた時間の枠を守りつつ、複数の児童生徒の実態や動きに応じることが必要になるからです。