また、でてる。
最近、ヤフーニュースやらで「教員不足」、「教員はブラック」、「部活はどうする」、「教員の給与増額」、「給特法」、「学校の働き方改革」などの記事がしょっちゅうでていて、ずっと前は、それをショッキングなものとして捉えていましたが…。
今日は「無免許オリンピアン教員」です。
それについて、パッと入った人が学校で仕事なんかできない、学校は授業だけじゃない、おぜん立てする教員の仕事がまた増える、という批判がくっついていました。
【学校で働く職員のハードルが下がっている】
教員が、教職が、地域社会から尊敬される時代が終わっただけでなく、職業として「なるためのハードルが下がった」と思います。
これまでの学校に見られたガラパゴス的、閉鎖的は、権威と尊敬に支えられていましたが、それがなくなってくると、多様性や柔軟性を重視するあまり、一貫性がなくなってきたと思います。
保護者の教育力の低下(格差や余力のなさも含め)に伴い、保護者に寄り添うことが過度に求められるようになりました。保護者が外に働きにでていくことが増え、保護者がいない間、しつけや友だち関係のフォローも、みんな先生にやってもらいましょう、子どもの将来が不安だから、能力も先生にしっかりあげてもらいましょう、みたいな雰囲気があります。(学校も、教員も、頼りにされていることを喜んでいた面がある)
学校が子どもを抱え込むようになって、保護者以外の子どもの受け皿は学校に集中し、その他の社会資源とつながることが少なくなり、多くが学校を介して行われることが常態化しています。
【教員は万能でなく、無限の労働力を提供できる訳でない】
様々なところから寄せられる学校依存に、教員は応えられなくなってきています。それでも、学校の有用性を証明することから逃げられません。
精神的に疲れてきた?代わりはいる、なくても現場が協力して穴を埋めればいい
仕事がキツい、時間がない?子どものためでしょ?
それがあなたの仕事じゃないの?
なんとか工夫してできないの?
職場で連携できないのはコミュニケーション能力不足じゃないの?
保護者も、教員も追われて疲れてきました。
学校や教員が依存され過ぎた頃、担う人が少なすぎて機能不全になってきた頃、「みなさんが無理せず幸せになる方法」が提案されると思います。
ここで、やっと昭和的な学校から、新しい時代の学校と社会全体で子どもを育てる形に転換するのだと思います。
公立学校教育も、この10年、20年の間に随分変わりました。そのスピードはゆっくりと、足踏みしているように見えて、確実に、着実に変化しています。この変化を肌で感じられるのは、学校現場にいる教員だけだと思います。
多くの人は学校をでて、大人になっています。親は自分が子どものときの学校を思い描き、それと同様、またはそれ以上の思いを学校に託す傾向があると思います。
何事も変化があると不安になり、自分の理想像と離れると不満感がでてきます。しかし、それも慣れてくれば「そういうものだと思うことでしょう」
私も子どもの指導を充実させたい、効果的に進めたいと思って教員になりました。もしかしたら、私も学校制度の枠組みを変質させている因子のひとつなのかもしれません。