学校の文化 担任の先生より

963)特別支援学校 ランニングするときの教員のつきかた

週に2回、朝のランニング(朝の運動)をしています。

学年ひとまとめで、教員と子どもが同じ教室(広め)のなかでやります。

どの先生がどの子につくか?

そこは、学級を基本にして、リスクが大きい子を担任の先生がおさえます。リスクというと、振れ幅のことを指しますが、ここではネガティブなものと捉えていいと思います。たとえば、他の子にぶつかる、たたく、ひっかく、押す、遊出(ゆうしゅつ)する、などです。

次は1人で走れるかどうかも含めたグループでなんとなくかたまり、あとは臨機応変に、走るけれど途中脱線するとか、途中で座り込んでしまうとか、そんな対応を柔軟に行うことになります。

【対応の違い】
1人の男子児童がいて、他害あり、でも人がいれば付いて行こうと歩く(走る)がいたとしたら、どうするでしょうか?

A先生:他害はさせたくない。もし誰かをひっかいたりしたら、教員がつかずに他害させてしまったと保護者に電話等で謝罪しなければならない、他害されてケガをしてしまった子どもと担任についても、同様に謝罪しなければならない、だから、私は手をつないで側について指導します。

B先生:他害はあるかもしれない。しかし、教員が側について目標物として存在し、声をかけることで付いてくる、走ろうとすると確信をもっています。自主的に課題に取り組むことを推進するため、教員は先導するように走ればよいと考えています。

この二人の先生について、私はどちらが正しいとか良くないとか言えません。

A先生は他害を「あってはならないリスク」としてとらえ、一緒に走ることで運動の機会が確保されること、集団のなかで活動する経験を積むことを中心に考えていると思われます。走ることに集中できるようになれば、他者とのかかわり方が分かるようになれば、〇〇しないと禁止事項を把握して守れれば、それらができてくれば他害は減る(無くなる)はず。それまでは集団の場で一人にしないでおこうと考えているのではと思われます。

B先生は、できることをしっかりやって、もてる能力を引き出したい先生です。事故(他害)なく終われれば、この子は課題に向き合えさえすればできる子なんだと満足できるかもしれませんが、信じていたのに他害をしたとなると、それはそれでガッカリすると思います。

【どちらにもリスクがある】
A先生は保守的で、子どもが積極的に、自発的に活動する機会をもつことより、リスクを避ける傾向があります。この先生に対して、子どもを信じてやってみましょう、集中して走るよう先生が前にでて言葉をかければ大丈夫、といった働きかけはストレスになると思われます。

リスクをさけつつ、今どんな課題があり、どんなことが良くなってくれば、側にいるから一人で走ってみな、といえるのか、言語化することで次の目標設定に役立つかもしれません。

B先生はポジティブで、こうすれば子どもはよくなると信じています。実際、何も事故が起きなければ、その子は伸びるでしょう。その先生なりに、他の子どもとの距離を見ながら走るので、他害に対する対応もできていると言えるでしょう。それに対して「もし、その子が他の子どもを通りがかりに引っひいたらどうするの?可能性はありますよね」というのも正論といえば正論ですが、B先生に対して、なかなか言いにくい…。

万事、リスクゼロにしたければ、事故になる可能性のものをすべて排除する、または「やらない」ことで「登校して、怪我無く下校させた」という成果をあげることができます。しかし、そう言えない人もいます。

過度か適度かは別として、教員は様々なリスクと向き合いながら、葛藤しながら指導をしています。結果だけみて批判することは簡単です。

逆に、守りに入りすぎて、理由がなければ動きません、という先生もいます。それも無理はありません。昨今、教員に関する事故の報告や報道で、逐一批判的な意見が出されていますし、他人からの意見がどうであれ失敗したくない気持ちになる人もいます。そのようなことから、「やらないからダメな先生」と思わないで欲しいです。