先日、外科的にちょこっと体の一部分を切ることがありました。
麻酔をするから痛みはないのですが、ゴリっという音や、レーザーで焼いたときのこげ臭さ、ジョキっと切れたときの深部感覚は分かるので、見えないけれど断片的な情報は伝わってきます。
やっぱり、血だの、オペの道具などを見ると、リアルに分かってしまうので、ほとんど目を閉じていました。
見てもいいんでしょうけど、やっぱり見るって「具体物の把握」につながるので、良し悪しだなと思います。
止血を含め、ひととおり終わってから、医師から言われました。
「いや、先生(教員)をしているのか、身体に機具を触れさせていっても、ビクっとならないんですね。なんというか、肝がすわっているんでしょうかねー。」
それに対して、「いえいえ、ほとんど目を閉じていましたし、麻酔があるから痛みもなかったですから。」と答えましたが、教員だから…というのは、どこからそう思えたのかな。
【イメージ?】
教員って、人の前にたって授業をしますし、向き合って話をすることもある仕事です。確かに、どこか自分をつくる面がありますし、覚悟を決めてやっているところがあるなーと思います。
しかし、だからといってオペをするときの覚悟も同じかといえば、そうなのかなぁと思います。実際、自分も目を閉じて術中の情報を制限していた訳ですし。
どんとこい!みたいに思えたのでしょうか。それは高く見積もり過ぎてない?テレビドラマの登場人物と重ね過ぎてない?
そんなに肝がすわっている訳では、ございません。
【ビクビクせずに済ませた理由】
手術を受けている間に考えていたことは、手術をしている部位や皮膚の構造、熱傷のレベルや皮膚の治癒過程、血管、術式(自分が受けているものと合致するものでない)などのことでした。
感覚的に伝わってくるものは得体が知れないので怖い、でも、結局は自分が知っている解剖学や外科の知識の範囲で行われていることだ、だから大丈夫だ、と言い聞かせていた面が大きかったな、と。そりゃ、解剖学などの知識は使わないのでかなりかすれているのですが、「おおまかにこんなもの」という枠は理解しているので、ずいぶん助かりました。
どんなものがあるか知っているから大丈夫、こうなるとヤバいと分かっている、きっちりしていなくても知識としてあることは大事だと思います。
根拠がある手技を逸脱しないでやれば大丈夫、やりすぎは危険、知識は日常を支える方法論について自信と怖さを教えてくれます。その点で、いくら実務経験を積んでも埋められないものがあると思われ、基礎基本は大事だと思います。
その点で、教員ってやることが多くて、トータル的にリスクをとり過ぎている仕事だなと思います。やる気と根拠のない自信は別物です。
理解することで、もっと自信と怖さを身につけて欲しいと思います。