こんにちは、雑賀孫市です。
今日は、学校であるあるな「褒める」について真面目に考えてみます。
【特別支援学校における褒め】
めることは、特別支援学校でも行われています。 そうして、児童生徒は褒めることで意欲が増し、達成感が得られると言われていて、 褒めることは良いことだと考える傾向が強いです。
私が、「褒める」ことについて、「何だかおかしいぞ?」と考えるきっかけになったのは 今から10数年前のことです。何でも褒める新採の先生が登場したことで、「褒めるって何だ?」 と考えるようになりました。
当時のその先生の褒めるは乱発され、生徒の何を評価してのものか、 何に意欲を向けさせたいのか分かりにくいものでした。 家のペットに褒めているかのようで、見ていてムカムカしたのを覚えています。 何はともあれ、生徒と保護者のご機嫌をとっただけで1年を終えたようです。
極端な例を挙げてしまいましたが、褒めるということには意味や価値があり、
・やったことが好ましい結果だった(いいね評価)
・承認(人の存在や価値を認める)
・想定していなかったことに気づけた、できた。
・目標にしていたことに到達できた。
・やったことが良かったんだと確認できる。(これは強化したいという点)
・次の目標に向かうゴーサイン
などがあると思います。
褒める行為による受益者というか、何のためのものかは バラつきがあり、主語が変わるんだなということが分かりました。
【褒めた方がいいとき】
・難しいけれど粘って達成できた(難しい・不安⇒自信・できる)
・教員が設定したゴールやねらったところに到達できた(他者の承認を得るために頑張る)
・求めるものに到達できた(称賛、自己承認欲求が満たされる)
・一つ終わったという区切り、よく行われる「できた!」(何を、どこまでやるか分かる)
・自分で考えて行動できた(ふさわしい行動と行動パターンを強化する)
こんな感じでしょうか。これは、「このときは、こうしよう」という学校教育でありがちな 方法論ではなくて、児童生徒によって、指導目標によって、段階的に選んで使っていくものです。
【褒めないほうがいいとき】
・何がよかったか、教員も児童生徒も分かりにくいとき(達成感の所在はどこ)
・安定してできていることについて(褒め過ぎると、ここぞという時の褒めの効果が薄れる)
・まだ向かって欲しい目標があるとき(褒めるには、まだ早い)
褒めるには、「できたね!」と声に出したり、手をつないで揺らして「やったー!」 というアクションを伴ったものもありますが、先に述べた「褒めた方がいいとき」、 「褒めないほうがいいとき」と考慮すると、褒める方法も選ぶ必要があると思っています。
例えば
A「目で見て静かにうなずく」 ⇒できたことは見たよ、先生は分かっている。できたことは自分でも気づけているよね、というように、称賛や承認を自分に向けさせるときに使っています。
B「うなずきながら、両手の手のひらを下に向け、抑えるジェスチャー」 ⇒できたことは分かるし、認めるけど興奮しすぎだよ、と示すときに使います。
【別の見方で褒めるを考える】
例えば、記憶が定着するのに時間がかかる児童生徒の場合、強化したい好ましい行動ができても、それがなかなか定着しません。そのため、定着の強化因子として「褒める」を使うことがあります。
【最後に】
今の自分は「とにかく自分を見て、褒めて」という生徒には形だけ「褒める言葉」を使うのですが、 指導の中で、どうしたら「できたね!やったね!」と褒めるかある程度決めています。
「褒める」のは何のためにするか、児童生徒ごとに、何をしたら褒めるのか方針や基準をある程度決めた方がいいと思います。 でないと、教育効果を高めるものにならなかったり、行いより褒める人に依存する傾向を強化してしまったりすることがあります。教員は求心力を高めるのが仕事じゃないですよね。
http://magomago1.org/howmanyyearsateacherkeep202003/
前回のブログは「70)元作業療法士の担任の先生より 特別支援学校担任の持ち上がりは何年がいいか」でした。
http://magomago1.org/careworkersjob202003/
次は、「72)介護職の専門性を発揮するということ」です。専門性って、よくも悪くもがありますね。