夏休みが始まりました。
周りの先生も、「あと何日」と思って日々を過ごしていたそうですが、私なんかは、10日くらい前に、「あぁ、そういえば夏休みは来週から始まるのね」みたいな感じで、あるのは分かっているけれど、いつくるのか見ていませんでした。
この心境の違いって、何だろうと思っていましたが、たぶん、毎年「教員、保護者、児童生徒」のどこかが難しくて、誰もやりたがらないところに配置されがちだったのが、今年は人並みだったからかも、と思いました。
【気づいた夏休みの意味】
そう考えると、夏休みって、先生ごとに意味があるんだろうなと思います。
ここ何年間かの夏休みのことを思い返すと、1学期間は無理して詰め込んで、緊張しっぱなし、走らないとやっていけないことが続き、夏休みにたどりつく感じ。
「陸上競技の5000mに出場して、800mか1500mのレースのペースで走ってきた人が倒れた時、なんて声かけますか?」⇒「夏休みですか?うらやましいなぁ」とか?
1人、何日も海を漂って、「これはヤバい」と思った時にたどり着いた孤島、島にしがみついて呼吸を整えようとしている人になんて声かけますか?⇒「夏休みですか?うらやましいなぁ」とか?
多分、交感神経優位がずっと続いていて、脳が落ち着かない。これを調整するために、夏休みの期間を使ってきた感があります。
【いま】
今年は例年よりも、かなり普通に近い心身の状態で夏休みにたどりつけました。
ここで、自分に問いかけています。「夏休み、何をする?」って。
・予定を埋めて、流すように受けていた研修会や研究会は、もう少し内容や有効活用させるための工夫について考えられそうです。
・秋からの授業準備は、もう少し1~2か月先とのつながりを考えたり、児童生徒の動きを思い浮かべたりしながらできそうです。
・9月からの新人研修のあり方や、学年・学級経営について、戦略的に考えられそうです。
容量いっぱいのパソコンみたいに重たく、回転の悪いものにさせないで、考えるべきことに頭が使える環境のほうがいいなと思います。