特別支援学校では、様々なテストバッテリーが扱われており、それらの数値や段階などを出して、児童生徒の発達の状況などを把握しています。
特別支援学校に長年いて、それらが日常の学習に有効に機能してきたかというと、個人的な意見ですが、それほど役に立っているようは思えませんでした。なぜかというと、数値を出して、今の実態や段階を把握して、それが数年経って変わったかどうかの比較がされるのですが、できていること、難しいことの「なぜ」の追求が積極的に行われていなかったからです。
原因や根拠が明確でなく、言語化されていなければ、なぜ段階があがったのか、どこが段階アップをリードするのに一役買ったのか分かりません。ということは、どんな指導が児童生徒に有効に働いたのか分からないということになります。
【なぜ】
リハの臨床実習等において、指導する側の理学療法士や、作業療法士等が、学生さんや新人さんに対して、「なんで?」と繰り返し聞くことがあります。
実習生さんが述べたことについて、その理由や根拠は何なのか、仮説をどれだけ立てて検証したか、出したものは妥当といえるのか、抽出した課題と対象者に行ったアプローチに整合性はあるのか、それをつきつめるために「なぜ」という問いが行われます。
それは、実習生さんの見立てについて、「まだ他にも考えられるよね」という提案をしたり、新たな気づきを促すことを意図していればいいのですが、いくつかは「まだまだ考えが浅い」と吊るしあげる雰囲気もありました。
今は、どのような実習指導が行われているのか知らないのですが、それでも実習生も臨床家となり、経験と学びによって大きくなっていくのです。だから、私も特別支援学校といえども、児童生徒に対する指導について責任があると思い、上記のような「なぜ」と追及することは無くさないようにと思っていました。
ところが…学校での実態把握はテストバッテリーで段階をつけること、学校で行われている学習について、どれだけ理解されているか、学んだことをどれだけ表現できるのかといった、機能面や指導の根拠を追求することよりも、提供している学習の機会が妥当なものか確かめることのほうが重視されていたようです。
【それはそれでいいけれど】
学校における評価は、児童生徒の実態を追求するものではなく、「学校生活を作るための情報を把握する」ことのほうが強いと思われました。限られたマンパワー、多様な教員の価値観などを考えると、作業療法士等が行う「評価」を持ち込むと、指導上、合わない先生、ついていけない先生(体力的に、能力的に)が続出しますし、無理に機能面などを追求すると、必ず「無理をする先生」や「保護者の期待するパフォーマンス」をする先生が出てきて、教職員間の連携やリスク管理が難しくなることが想定されます。
だから、これでいいんだ、といえばそうでもないと思います。
作業療法士等が行う評価によって、「何をしたらいい」、「何をどこまでやっていい」、「これ以上やると危ない」、「この子はこんな子ですねとおおまかに捉える」、「難しい理由はこれとこれですね」みたいに、ポイントをおさえるだけで、日常の指導にメリハリがでます。あれもこれもやってあげたい、とすることでオーバーワークや過剰サービスが増えて、多忙化している学級を落ち着かせることができるかもしれません。
不安があると、もっとやらなきゃ、何をすればいいんだと、日々に納得することができませんし、他から何かを言われると、すぐにグラつきます。それは、良いことではないので、誰が見ても「あー、そうだね」と思えるようなテーマを決めて、日々取り組むほうが、教員は落ち着くと思います。(私もそうなるようにしています)。だから、作業療法士(OT)等と連携することに価値があると思うのです。