学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

111)朝の会を含めた、学校での過ごし方

こんにちは、雑賀孫市です。
特別支援学校で働くようになって、教員の子どもを伸ばす力って どうやって計ればいいのか、どこを見たらいいのかと、ずっと考えていました。 (自分も含めてなのですが)

【教員として、何を大事にしているか】

私が担任としてもっておきたいことは、以下の通りです。
①為すことを明確に示す
②集団の中の一人としてどうあるか
③その子なりにできることは何か
④生きていくうえで、何が必要か

このあたりを考えるようにしています。 よく、個別の指導計画などで、「主語は子どもになるように」などと言われますが、 教員もまた目標と経過と結果の責任を負っているとように思っています。

【過ごし方に対する視点は、たったの2つ】
A:学校という社会の中で過ごせるか(楽しくならベター)
B:目標に向かう、意味のある学習になっているか


すべて目標に向かって邁進せよ、とは思っていません。集団の中で過ごす態度やスキルも大事だと思っています。私はB強めのスタンスでやっています。でないと、「学校という場」の効果を使って 楽しんだけれども、個々の課題を持ち越していいのか?という問いに自分自身が耐えられないからです。

【さて、本題です】
先に述べたことをふまえながら、朝の会についてみてみます。 自分の実践例は、以下に挙げました

特別支援学校で行っている朝の会(決定学級での指導)https://magomago1.org/morningmeeting202002/

これが正しい、というものではありません。 あくまで、他の人には分からない、目の前にいた児童生徒の実態と指導目標に則って 選ばれた内容です。

朝の会も含めて
「実態に合っているか」
「目標に合っているか」
「その場面は何をする時間か明確か」
「待たせ過ぎないか」
「個別対応が過剰でないか」
「集団として行っているか」

これらがすべて揃っていなくても、留意されていることが大事だと思います。

【追記】
私が初めて担任の先生をしたときのグループの朝の会。

ルーティンの集合体で、することが多い。やってできたらOK。
子どもたちは、これらをよく理解しているという盲目的な賞賛(改善への意識なし)

思い返すと、このグループの教員が抱えていた問題は結構あったと思います。

・保護者の評価や賞賛を得たい(過剰にできているアピール)
・子どもは褒めていればいい(意味は問わない)
・科学的に子どもの実態を把握することは、子どもの思いを否定する(という逃避)
・子どもが好きなんですか(学校は託児所でない)
・保護者と子どもを依存させる(過大な課題設定で先生が手伝ってあげる状況をつくる)

今も「なってはならない教員のモデル」として、活用させて頂いています。

http://magomago1.org/checkoutaboutstudentscloths202004/
前回は、「110)児童生徒の成長対応について②(衣服など)」でした。

http://magomago1.org/whatisthemeaningofteachersjob202004/
次は、「112)先生の仕事は誰のためにある」です。微妙なタイトルをつけてしまいました。まずはご覧ください。