学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

133)現職教員でニヒリズムに染まった私が大学院で学んだこと

こんにちは、雑賀孫市です。

今日は、大学院に行ったときのことについて書いてみます。

現職の教員が大学院に行くことの意味や意義などについては、いつか書こうと思うのですが、今回は小話程度で読んで頂ければ幸いです。

【大学院に行く】

私が大学院に行った理由はいくつかあるのですが

特別支援学校に入って、「なんだこれは?」「なぜ、そんな考え方をするんだろう?」などと思うことが多く、学校教育とは何か把握したくなったことが大きいです。

大学院には職業人を育成するというより、学問として学べるので、きっと自分が求める解があると思いました。

私が選んだのは、通信教育部のある大学でした。

働きながら学ぶには、それしか思いつきませんでした。

学費もかかります。できるだけ安価なところと考えました。
(遠隔地の大学でしたが、100万円未満で修了できました。)

【スクーリング】

通信教育部での学習は、テキスト学習と、スクーリング(実際に学びに行く)の二本立てでした。

一つの教科のレポートを書くために比較的近くの大学の図書館まで行き、関連図書を6~7冊借りて言葉の意味を調べ、先行研究を調べ、情報を整理して論じる、というパターンを繰り返していました。

スクーリングは夏と冬に行われますが、冬は週末開講で通えないため、夏に行くことになりました。

当時、学校教育のあり方には批判的な意見をもっていたので、昔ながらの人情を語るようなものは嫌いではないにしろ、実情に合わないと敬遠している向きがありました。

【誕生】

記憶が曖昧なところがあるのですが、スクーリングの二日目だったように思います。

大学に向かうバスの中でメールがありました。

「夜、破水があって、急遽出産することになり、先ほど産まれました。 かわいいから、楽しみにしてね。」と
義理の母からメールがありました。

出産予定は1~2週間先なので、スクーリングが終わる頃になるね、という話だったので、かなり動揺もしましたが、走り始めた講義です。ここでリタイアすると、次にいつになるか分かりません。落ち着かないまま、午前の講義を受けました。

少人数講義

お昼休憩に入ってから、「実は…」と朝に子どもが産まれたことを話していると、講義を担当していた先生が

「君は、この後の講義はいいから、帰りなさい。」

本来、通信教育部の授業はでないと単位がもらえないものです。
この人は一体何を言ってるんだ?とぽかんとしていました。

「私は子供が産まれたときに、外に出ていて帰ることができなかった。今でもそれは自分の中に残っている。やはり、子供が産まれるということは特別なことだ。それに代えられるものはない。だから、午後の講義はいいから、帰りなさい。」
「出席などについては、レポートを課すなどしてなんとかします。」

こども

【帰宅】
状況的に、「いえ、私は残って講義を受けます!」などと、とても言えず、挨拶をして、午後に宿舎に戻ってキャンセルをした後に病院に行きました。

教授が講義の中で言っていた、「命」がそこにありました。

【講義を通して学んだこと】

教育的人間学

人としてどうあるべきか考え、行動すること。
経験をもとに、後の世代に伝えることの価値。
変わらないものはない。
感じるものは人それぞれ、それぞれが意味づけと価値づけを行っている。

【追記(Wikipediaより)】
和田 修二(わだ しゅうじ、1932年4月8日[1] – )は、日本教育学者、 京都大学名誉教授名古屋女子大学教授オランダユトレヒト大学に留学、マルティヌス・ヤン・ランゲフェルドに師事。専門は教育学教育哲学教育人間学臨床教育学

http://magomago1.org/dietepisodeinaspecialeducation202005/
前回のブログでは、「132)特別支援学校でのダイエットの取り組み」について書きました。

http://magomago1.org/lookingbackthepastdays202005/
次は、「134)特別支援学校小学部1年生だった子の8年後を見て感じたこと」で、過去の指導の妥当性を問われました。