雑記帳 OT・PT・ST

75)介護保険時代にリハビリテーション技士になり、退職したときのお話です。(退職2回目)

こんにちは、雑賀孫市です。
今日は、私が仕事を辞めたとき(2回目)のことをお話します。 私が最初に勤めた会社は、家族経営の中小企業(製造)でした。 社長の車を磨いたり、得意先をまわったり、伝票整理をしたりして、人間味あふれる(?) 仕事をしてきましたが、給料に不満と不安を感じるようになり、退職しました。

一身上の都合により…

【2回目の就職(急性期病院)】
作業療法士養成校を経て、急性期(救急病院などで、初めに手術や処置をする)の病院で 脳外科、整形外科の患者さんのリハビリテーションをするようになりました。

そこで学んだこと

①人の死を冷静に受け止めるようになった。
担当する患者さんが亡くなったときは、悲しくて家で密かに涙を流すこともありました。
泣いたりしていたら、仕事にならない
人は亡くなるものだ

自分に課した、これらの言葉は今でも覚えています。

②お金への執着
給料は初めて入った会社よりずっと良かったので、それなりに満足していました。 が、同じ職場の先輩から、給料が低いとしつこくネタにされるので、だんだんイヤになってきました。 このまま続けても、給料格差は変わらない。退職までミジメな気持ちでいるのは辛いな…。

お金って、結局大事。

【急性期でなく、やっぱり生活がみたい】
作業療法(OT)は生活をみる仕事」 どこかでそう聞いていて、自分のケガの経験もあって生活を支援したいという気持ちは消えておらず、 学校という生活の場を目指しました。 教員になり、学級担任になり、学校生活という切り取られた環境ですが、「生活を支援する」専門性は発揮できているかなと思います。

【今言えること】
・運(タイミング)も大事
・社会のニーズに応じて自分を再構築する
・求めるものに見合った、相応の努力をしよう

http://magomago1.org/myfirstlosingjob202003/
前回は、「74)バブル時代の後に就職して、退職したときのお話です(退職1回目)」でした。

http://magomago1.org/otmakecolorstudysystem202003/
次は、「76)担任の先生(元作業療法士)がつくる、特別支援学校の授業~パネルシアターの活用~」、授業の話です。