学校の文化 OT・PT・ST

94)2007年特別支援教育制度本格実施を受けて、OTはどう反応したか①

こんにちは、雑賀孫市です。
これから、作業療法と特別支援教育とのかかわりのなかで、大きなターニングポイントになった 2007年について書いていこうと思っています。 私の手元には三輪書店の作業療法ジャーナル2007年4月号があり、 特集「特別支援教育の今」と書かれています。

【野中猛先生の編集後記が熱い】
2007年に本格始動した「特別支援教育」ですが、私はこれが始まる少し前に 医療から教育に乗り込んでいったことになります。

この雑誌の巻末(編集後記)で、野中猛先生は以下のようなことを書いています。
(以下、抜粋、引用)
・作業療法は、病院の奥底にうごめくばかりであってはならない、生活の場にこそ活動の焦点を当てるべきだ。
・作業療法は、身体、精神、発達等と、領域を細分化してはならない。
・OTは、慣れ親しんだ医療関係者ばかりでなく、多くの領域の人とチームワークが結べなければならない。
・使い慣れた言葉や概念がそのままでは通じない。
・OTは、他の誰もができない専門的技術をもてなければならない。そうでなければチームに入れる必要がない。
・今度は診療報酬制度で守ってもらえない。自分だけでも、OTの有意性を売り込めなければならない。
・新しい領域における新しい仕事は、楽しく刺激的だが、同時にストレスの大きなものである。

【編集後記から感じたこと】
2007年、この頃、作業療法士の数が増えすぎて、仕事が無くなるのではないかと危惧されており、 特別支援教育は職域を広げるチャンスだ、作業療法士の専門性を学校に、と若干浮足立っているように感じられました。 そんななか、野中先生は非常に冷静に今と将来について考えていたのかなと思います。今読むと、どこか耳が痛くなる内容です。

OTは、慣れ親しんだ医療関係者の中で、与えられた場で、与えられた役割を真面目に果たしていれば良かった面があると思う。特別支援教育によって活躍の場が与えられたというより、見方を変えれば「引きずり出された」とも考えられます。 臨床で行ってきた「生活を見据えた作業療法」が、本当に学校という生活の場で使えるものなのか、やっていることが違う職種の人にも良い意味で影響を与えうるものなのか、厳しく問われていると感じます。

「他の誰もができない専門的技術をもてなければならない。そうでなければチームに入れる必要がない。」という面について、半分賛成で、半分反対と思っています。学校生活を考えるとき、その場にいるのは教員と子どもです。彼らのニーズに合致する意見が出せる時は出す、特別必要でなければうなずいていれば良いと思います。しかし、だからといって日和見でいい訳はありません。 OTは「生活を科学して創造する」ことが専門性だと思うので、アイディアを出し、支援者同士をうまく接続し、必要なら自分がやって見せてみる、そういった能力は発揮すべきだと思います。

新しい領域における新しい仕事は、楽しく刺激的だが、同時にストレスの大きなものである。」 医療特有の科学は、学校生活を豊かにすることに直結せず、スピード感のない組織的対応の中で矛盾を多々感じながら仕事をしてきました。すいつまでも新しい仕事と言わず、若い人に入ってきてもらいたいと思っています。

支援会議の図

【特別支援教育への参画を2007年目線でみる】
次回から、具体的に当時の特別支援教育について、本誌を見ながら切り込んでいきたいと思います。 過去のことでもありますし、編集後記の内容もふまえつつ、客観的な目で達成できたこと、未達成のものは何なのか、考えていきましょう。

http://magomago1.org/changingthewayinthespecialeducationschool202004/
前回は、「93)「特別支援学校を変える」 職員会議で専門的な先生が超前向きな提案を始めたら」でした。

http://magomago1.org/2007specialeducationstage1202004/
次は、「95) 2007年特別支援教育制度本格実施を受けて、OTはどう反応したか② ステージ1」です。