学校の文化 担任の先生より

259)「まんがで知る教師の学び3」より 教師のやりがいと失意について考える。

前田康裕(2018)「まんがで知る教師の学び3」、さくら社を読んでいました。
その中で書いてあったことを引用しつつ、感じたことを書いてみます。

【教員という仕事のもつ特性①】
「教師がやりがいを感じるのは子どもたちの成長を感じた時なんだ。」
「そして そのことによっても自分の成長も実感できる」
「さらに 子どもが成長すれば保護者も喜んでくれる」
「人の役に立っているという実感が教師にとっての栄養なんだ」
「だからこそ良い教師ほど身銭を切って勉強するし」
「プライベートな時間を削ってでもよりよい授業づくりの準備をする」

この教員がもつやりがいが、私は特別だという自己有能感を過剰にしたり、成果はでても他者からの評価がないと閉鎖的な自己満足型の職人気質の教員を生んでしまったりすることがあります。また、管理職が仕事への努力をみていず、正当な評価をしないと意欲が低下することもあります。

よくやったなー

【教員という仕事のもつ特性②】
「しかし あまりに忙しいと準備の準備ができないので授業も充実しない」
「当然子どもたちの成長も思うように見られず『申し訳ない』と感じてストレスがたまるようになる」
「ましてや保護者からのクレームが多ければ『人の役に立っている』という感覚さえ奪われてしまう」
「『人の役に立っている』という『栄養』がなくなれば 教師の精神は病んでいく」

うまくいかないことはあります。が、それを支えるのが同僚性だったりします。これまで同僚性は個々の意欲や活動を抑圧するものとして紹介されることがありましたが、様々な状況が起こる中では人が人に癒されるのは大事です。これが満たされると、教員社会により強い帰属意識をもつようになります。(⇒そうして、更に仕事が断れなくなる…)

こりゃ、キリないわ…。

【多忙さと教員の特性】
昨今の教員は多忙です。本書でも「現状では教育に関する問題のほとんどを学校教育が請け負っているように感じます。」と言っていて、その多忙さはポジティブに働くと教員のやりがい(栄養)になるし、強制や抑圧を含めたものになると教員の精神が病むという両面があります。なので、総じて仕事が増えるのを断る!子どものために何でも頑張る!と言いきれないのだと思います。

https://magomago1.org/258ainformationisroundintheroombypaper202010/
前回は「258)職員室にでまわる回覧板について」でした。

https://magomago1.org/260whatdoyouthinkatfirstwhenhappenedaaccident202010/
次回は、「260)「まんがで知る教師の学び3」より 教員の仕事のリスクと保身について考える」です。学校経営を考えるうえで、対外的なこと、子どものこと、考えることがいろいろあることが分かります。