学校の文化 担任の先生より

353)特別支援学校 年度末の保護者面談より

年度末、保護者に対して説明責任を果たすとともに、これまで行ってきたことへの合意を得る意味も含めて面談が行われます。

面談では、これまで学習してきた内容や成果、学校での様子などについて話し、保護者からは家庭での様子、今後期待すること、今年度で変わったところ、などについて話してもらいます。

【やりがちなこと】
本当に自分が行ってきた指導が良かったのか、保護者に説明できるくらい児童生徒のことを理解しているのか、などの不安があるとき、教員はよく話し、指導内容よりもこどもの頑張りなどを前面に出して話す傾向があると思います。

また、成果をアピールしたいあまりに、できたことや子どもの能力がいかに高まったかを、かなり盛った形で表現することがあります。

【盛るとどうなるか】
話を盛ることは、その場を切り抜けることはできますが、その後の指導の十字架になります。

「できる」と一口にいっても、大人と一緒にならできるのか、道具を使えばできるのか、ある程度難しいところは省いた形ならできるのか、いつどんな場面でもできるのか、など様々な形があります。しかし、多くの保護者は、自分でやってのける「できる」を想像するのかなと思います。

盛るのは

A:教員が大部分支援した状態での「こんなことができます」アピール

B:ある特定の場面限定でできたことを「できた」として、次々と段階をあげていった場合

前者のAは力が十分についた訳でもないのに「できた」とするので、その後、それよりレベルアップした指導目標を提示しなければならず、「できた」と言ったものは、できていることを前提に次の課題設定をしなければならないので、指導目標と実態の乖離、日常的な教員の支援の負担が著しく増大する、などの問題が起こってきます。こうなると、いくら科学的な根拠をもって実態を説明しても、その先生にはそれを受け入れるキャパがありません。

嘘と粉飾を最後まで真実と主張しなければならない十字架を背負うと、その教員を中心に他の価値観を許さない閉鎖的な雰囲気を作り出すようになります。

後者のBは「1つできたら次」というタイプで、発達段階の表の順番に子どもをステップアップしていこうとするタイプに多いです。指導内容と教材のもつ意味が、本当に子どもの能力向上に反映したのか、それとも特定のパターンを習得しただけで、今後の学習や生活習慣に応用的に働くものなのか、注意する必要があります。基礎をしっかりかためて成長しなかった場合、ある部分は突出してハイレベルでもバランスが非常に悪いことになります。指導してきた教員がいなくなり、学年や学部が変わったとき、「できている」とあるけれど、実際できている様子も見られないし、何ができてきたのか分からないといいうケースはこのパターンかもしれません。

【どう段階を踏んで行けばいいか】
私見ですが、成長が見られたら、それが条件つきのものでないか、他の物でも応用できるか、ねらいと違った学びがあったか、などを教員はよく観察、検証する必要があります。

じっくり足場をかためて育っていくことを考えると、強迫観念的にレベルを上げなければと焦ることはなくなります。そうして、多少の指導観や指導方法の違いがあっても、寛容な気持ちで教員同士の関係をもつことができるようになります。

https://magomago1.org/352overworkmakethechildsleepy202103/
前回は「352)特別支援学校 時間とともに、疲れちゃう」でした。