学校の文化 担任の先生より

360)特別支援学校 みかけの先生の数と、実際動く先生の数

学級ごとに、標準法にのっとった先生が配置されることになっています。

しかし、「先生の数が足りない」、「教室では忙しくてトイレに行くことができない」、などの悲鳴が担任の先生からでることがありますが、それはなぜでしょう?

「法律に則った数が揃っているのに、それでやれないなんて」
「特別に支援が必要な子どもを指導する専門性があるんでしょ」

という声も聞かれますが、現場の声と周囲の見解のズレはどこからきているのかなと考えました。

確かに、専門性に関する課題や、一部ご機嫌とりのサービス業になっていることが多忙化につながっていると思われることがあります。しかし、それだけかなぁ?と考えてみました。

【例1:学級担任の表記】
A組
担任: ねずみさん
学年づき: きつねさん たぬきさん

B組
担任: かばさん
学年づき: きつねさん たぬきさん 

C組
担任: ねこさん
学年づき: きつねさん たぬきさん 

D組
担任: いぬさん
学年づき: きつねさん たぬきさん 

さて、何か気づくことはありましたか?

そうです、ただA組だけの教員数を見れば3人いますが、きつねさんと、たぬきさんは他の学級にも名前があるので、A組だけの人材ではないということです。

固定化されていない教員は、他の学級に行ったり、他のより厳しいとされる部署に応援にでかけたりします。つまり、常時人数として計算できないということです。

【例2:常勤か否か】
 このように、見かけのカラクリだけではありません。

 実際にいる教員であっても、正規の教員でない先生や、児童生徒に専念しない先生も指導体制に入っていることも指導に影響します。時間講師の場合はその授業の指導体制に入るなど、授業に入ってなんぼの人ですから、給食や下校の時間になるといなくなったり、行事のときは勤務でないので不在になる、など、フルにあてにできなかったり、穴が空いた時間をやりくりしなければならなかったりします。

 教室をのぞいたとき、「どんな子どもがいるのだろう?」、「先生はどんなことを教えているのだろう?」ということに目がいきがちですが、是非、この集団はどの先生がどの子を見ているか、複数の子どもを見ながらどうやって指導しているか、についても目を向けて欲しいです。

 個別で対象者とかかわるお仕事をされている方だとしたら、担当をしていて個別にかかわっているAさん、Bさん、Cさんが順番でなく、一度にきたらどうしますか?
 きっと普段のように「これを見せたときの目の動きをよく見てください」、「この姿勢をとるために、骨盤をこう支えたらできます」などと言っていられないと思います。

 部屋から飛び出していかないように立ち位置を考える、今トイレに行きたいといい始めたらどうしよう、遊具に飛び乗ろうとしているので安全を確保しなければ、など目の前の環境にいる子どもたちに対して、どのように目を配るかが最優先になると思います。

 それが、担任の先生の日常なのです。


https://magomago1.org/359teacherspositionfornextyear202103/
前回は「359)特別支援学校 新年度体制の発表のあと」でした。