学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

386)特別支援学校 個別指導が苦手な先生がいるのはなぜか

先日のブログで、特別支援学校の先生のアセスメント(評価)と、医療現場等にいるリハビリテーション関連職種である作業療法士のアセスメント(評価)の環境や流れが違うという話を書いてみました。

教育は集団、リハは個別が多い
特別支援学校にも「個別」の指導の時間があります。
自分がみた「個別」の時間の進め方の多くのケースは

机上課題(パズルや書字、スイッチ)
医療機関のリハの手技やそれらしいメソッドを使う時間
その子に必要なことを、個別の時間に「ここだ!」と投入してくる

私が理想的だと思うのは③で、必要に応じて入れていいのは②、目的やテーマがあるなら①もいい、という考え方です。

ちょっと考えたほうがいいんじゃ?と思うのは、普段集団の中で過ごしているから、みっちりお勉強する時間も必要だと、とにかく①を入れてくるパターンです。個別で取り組んだというアリバイは成立しますが、子どものどこを伸ばそうと狙っているのか不明確なまま進められていることがあり、意味がないとまでは言いませんが、ちょっと勿体ない時間の使い方だと思います。

ただ②をやって個別の時間を使ってしまうのも、残念な気がします。
教育は集団、リハは個別が多いことから、個別指導をきっちりできた、医療的な深い所もおさえた、という達成感が欲しくて、これに飛びつく傾向はいまだにあると思っています。

また、近年リハビリテーション関連職種が学校に入るようになり、その専門性として自分の仕事を学校の先生に紹介する機会が増え、教員のウィークポイントを補完し、リハビリテーション関連職種の方も自分のもっているものをそのまま紹介できるので大人の満足感は高くなりますが、あまり効果的なものにならないと感じています。(担任の先生によるところが大きい)

【個別指導が苦手な先生がいるのはなぜか】
なぜ、個別指導の内容をピックアップするのが苦手な先生がいるのか。

自分の印象ですが、苦手なのは意外と中高年に多い気がします。
反対に、比較的若い人のほうが③までもっていけるケースが多い気がします。

基本的な心身の機能・構造に関する知識レベルはそれほど変わりません。

しかし、決定的に違うと思われる点は3つあって、1つは「私たちは教育、医療的なことは専門家がするもの」という子どもを知る枠組みを縦割りで決めてしまっている人が多いことが挙げられます。若い人は(良いも悪いも)、いろんな観点とサービスをすることが教員の専門性だと刷り込まれているので、そのあたりの垣根が低いのだと思います。

2つめは、情報処理能力です。加齢によるものと言ってしまえばそれまでですが、パソコンやインターネットに早くから親しんだ世代は「深く追及すること」、「自分のもっているものがすべてでない」ということを前提に物事を考えることができるので、リハビリテーション関連職種の行っている評価(アセスメント)との親和性が非常に高いと感じています。

3つめは、集団における子どもの見方が優位で、個別で子どもを見られないからだと思われます。これについて、リハビリテーション関連職種の評価の流れに似たプロセスが使えないスキル的なことと、教室にいる児童生徒の障害像の多様さ、複雑さなども含めた指導体制の厳しさにあると考えています。個別に丁寧にみたくても、複数の児童生徒を抱えてはじっくり見ることができないのではないでしょうか。

そのため、多くの言葉を略して「忙しいから、できない」と言います。

単純に忙しいだけなら、効率化する、合理化することで対応できますが、その原因は複雑にからみあっていて、それだけでは埋めきれないことがあるのを前提に学校作業療法は進められるべき、と思うのです。

【個別指導に必要だと感じていること】
特別支援学校における個別の指導の時間をどうするか。

これを有効活用するには

子どもにとって必要なこと、指導のテーマとしていることが観点別に整理されていること。
子どもの課題の原因や理由を他人に説明できる形で把握できていること。
集団の時間では埋めきれないその子の課題を、与えられた個別指導の頻度と時間の中に落とし込むマネージメント。

おそらく、教員に対する外部専門家の助言・指導はこのあたりを補完するためにあるのだと思います。

ファシリテーションテクニックも上記の中に含まれていたら効果的だと思いますが、とにかく個別指導を無難に済ませたい、やったという実績が欲しい、といったニーズ合致していなければ大人の自己満足で終わってしまうことが多いようです。



前回は「385)特別支援学校 このお菓子、誰から?」でした。