学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

391)特別支援学校 他職種・多職種とともに進むとき、気をつけていること

特別支援学校にくる教員以外の支援者について、二つに分けることができます。

子どもの支援を直接する人
子どもの支援を直接しない人

児童の教育は教員が行うことになっていますので、いろいろな職種の方が入ってきても、最終的にはやるのは担任、ということが多いのはそのためです。いろいろな人がきて、いろいろなことを言ってきますが、担任として、こう考えて仕事をしているんだ!と伝えられるでしょうか。

自分の仕事のことは自分しか分からないし、どんな仕事をしているか全容は誰もみてくれません。

目の前の子どもに対して、個々の専門性に基づいて情報提供されますが、その情報は有益でしょうか?
もし、そうでなかったら、先生自身の専門性のなかで、支援者に何を求めるか、具体的な注文がだせていなかったということでしょう。あくまで実施責任は先生にあります。その先生が求めたことに答えられなかった支援者は専門外だったか、先生のことを考えずに言いたいことだけ言うエゴイストです。

【直接支援する人は存在する】
担任以外で直接支援にあたる人は存在します。

例えば、時間講師の先生、介助員、ボランティア、教育実習生やごくたまに来るリハビリテーション関連職種の臨床実習性などもこれに含まれるでしょう。

子どもからすると、「おとな」ということで同じくくりになりますが、大人の間では立ち位置が違うために、それ相応の役割分担や連携が必要になってきます。大抵は「担任や教員の指示のもと…」と教員が指示する立場になることで、責任の所在を明らかにしています。そのため、支援者という立場は対等でも、教員が立場的に上に立たなければいけないことになります

【指示のもと…どこかで聞いた言葉】
「医師の指示のもと」という言葉は理学療法士や作業療法士が医師の指示(リハビリテーション処方)に基づいて治療を行う関係と似ていると思います。実際の治療は作業療法士等に委ねられていますが、医師はバイタルや関節可動域、負荷などについて、「制限や基準」を設けて安全や職域の範囲を逸脱しないよう指示を出します。

一方、教員が出す指示は授業などの学級経営をしながら、自分の手元にある児童生徒をみながら、支援者に指示や依頼を出すのですから、同時処理をしなければなりません。また、1つの手技・支援が終わったから「次に何をするの?」となるので随時フォローすることが求められます。

この点について、教員の立場からすると大変難しいことだと思います。

いつも一緒にいない支援者に対して、情報を共有して、問題の同定を図り、行動レベルまでもっていけるようにするのは簡単ではありません。

担任であっても障害像やリスク管理に関する情報が出そろっていないときは指示など出しづらいです。

経験の浅い教員だと、その場を切り回すことに精いっぱいで、状況に応じた指示など出せません。

そうして、私が一番難しいと思っているのは、支援者に事故などのリスクを背負わせず、どんな指導方法で児童生徒とかかわってもらうか判断するときです。例えば、大人の手を振り切って走り出す生徒がいた場合、どのように指示を出すでしょうか。

すぐにつかまえて、転倒や接触事故が起きないようにする。

本人が納得するまで自由にさせて、落ち着いたら戻ってくる。

この二つの選択肢があった場合、①だと止められたことに激高して支援者に手をあげるかもしれません。②だと、転倒事故や接触、転落事故が起きるかもしれません。

どうなるか見通しがたたない指示を支援者にしていいのかと思ってしまいます。

そうならないために、リスクが高い児童生徒は自分がみて、安全に過ごせる見通しがたつ児童生徒を支援者に委ねることになります。

【そんなの関係ねえ】
支援することが仕事だ、任されたからには安全にかかわってみせるのが仕事だ。
担任の口から、そう言えたらどれだけ楽になれるでしょうか。

しかし、支援者の立場からすると、そんな態度をとられたら、たまったものじゃありません。

医師の指示のように、数値や範囲が明確ならば、そこを意識してやればいいのですが、いつ、どんな価値基準で、いつまで、何をするか分からないまま児童生徒を任されるのは不安です。

【どうすることが理想なのか】
その場(授業)の責任者は、その児童生徒の責任者(担任)は、支援者を自分の価値基準の枠で奴隷にしてしまうのか、方向性を与えて支援者の指導力を発揮してもらうか、よく考えて欲しいと思います。

どのように協働することが望ましいか考えてみたのですが、これまでの失敗や成功をふまえると、指示出しで管理すると、支援者は指示する人の顔色を見て、言われたこと以外のことをしなくなったり、考えることをやめてしまったりします。

一方、この場を乗り切るために一緒にどうやって進むか?と考えると、互いの専門性をもち寄って、支援できる許容量を確認しあうことができるので、最終的に指示する側の負担感が軽減します。

支援者の存在は負担軽減のため、と考えがちですが、実は指示を出す側(担任)が学級経営について他者に説明できるくらい理解できているか試されている部分があると感じています。うまくいかなければ相手が気が利かないとイライラしますし、うまくいけばチームで乗り切った達成感が得られます。


前回は「390)特別支援学校 集団の指導はオーケストラを奏でるように進む」でした。