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440)特別支援学校 療育にかかわる人の持ち味②

治療や指導について、指導したいターゲット(人、目標)によって向き、不向きがあると思います。

病院などで行われるPTやOTでは、対象となる子どもと、まさにこの課題をするための空間が確保されています。評価も環境因子による影響が少ないため、純粋な情報が得られやすいと思います。しかし、治療の場は生活の場でない特別な場であるので、その成果を家庭や学校で使えるかといえば難しいところです。保護者に丁寧に説明して分かってもらうことも、外に出れば引継ぎの時間すらなく、せっかくの指導が活かされないこともしばしばです。また、外来では月1回などがザラなので、日々繰り返し取り組むことで伸びることが見込まれることがあります。それを指導しても継続されないこともあり、歯がゆい思いをすることもあるでしょう。

一方、学校では登校してから下校するまでの時間を子どもと過ごします。その日は調子よくできても、次の日はそうではなかった…という変化を感じながら平日かかわるので、今は調子がいい日、そうでない日といった平均をふまえた判断ができるようになります。また、その日にできたことも、次の日できるか、他の場面でもできるかという試行錯誤が可能になります。毎日かかわるということは、その日にできなくても翌日試せる、それまでに準備する、などのリベンジができます。

他の教員や指導体制、なまじ気心が知れているだけに、その時は真剣にやってみようといった場面に切り替えることが難しい場合があります。そのため、その年に担任だった人が翌年も引き続き担任となると、初期評価に時間をかけることなくスタートできますが、フレッシュな人間関係の構築は難しく、マンネリ化した中だるみの指導になることも少なくありません。

こんなとき、深く突っ込んだ個別の指導を提案されても、なんとなく着手しにくいと感じることがあります。できあがった時間の使い方、キャラクター、教員も子どもも慣れてしまうのです。

【結局何が違うのか】
病院などで行われるOT(作業療法)やPT(理学療法)と、特別支援学校の教員、それぞれ役割や環境が違うところで仕事をしています。短時間に目的に沿って評価や治療を行うこと、時間をかけて多様な学びを提供する学校、それぞれ利点があります。また、苦手なところがあります。

学校作業療法では、助言・指導を行うOTやPTは十分に情報が揃わなくても、見る時間が短くても必要な情報が取り出せるだけのセンスと力量が求められます。学校の教員には学校生活をデザインしつつ、できることを選択して継続的に指導することが求められると思います。

今思うことは、指導・助言でなく、役割分担でなく、「相互補完」がより効果的な連携を生み出すキーワードになるのではと思います。

https://magomago1.org/439assesmentinthehospitalintheschool202107/
前回は「439)特別支援学校 療育にかかわる人の持ち味①」でした。