学校の文化 担任の先生より 未分類

477)特別支援学校 教員への「休んでいいよ」は天使の声か、悪魔の声か

教員には、福利厚生が充実しており、旅行や習い事の助成などがあります。積み立ての運用商品や医療保険などもありますが、公務員という信用度が高いのか、少し優遇されているようです。

そんな福利厚生の中で、気になっている案内があります。
それは何かというと、メンタルヘルス相談に関する窓口です。

【相談窓口】
相談窓口がいろいろあり、少し気になって問い合わせをしたのですが、「どこまでやってくれるのか」聞いていくうちに、実効的な取り組みはできない、ということが分かりました。なぜか、以下に列挙してみます。

教職員がメンタルヘルスを損なう原因にはアプローチしない。

メンタルヘルスを損なう原因を改善する取り組みはない。

産業医も含め、人事や処遇に意見することはできない。

こぼれ落ちる教員への対応をするけれど、こぼれないようにする配慮はない、といいうことです。

例えば、ヨガや健康体操、ウォーキングの企画では、気分転換を図るのに効果があるかもしれません。
心に留まっているものを聞いてもらう、これでカタルシスの効果があるかもしれません。
メンタルヘルスチェックででた結果を見て、相談窓口が紹介されるようです。
心療内科を紹介され、薬物療法が受けられるかもしれません(ただし、診察や薬代は自費です。)

【なぜ、教員は病むのか】
教員が心を病んで休みに入ってしまうのは、ざっと見てきて、ここ10年くらいで急に増えた気がします。この間に起きた変化は何だろう?と思ったのですが、ICTの導入による仕事内容と量の変化、人事考課制度、成果主義的管理、外部専門家等の外部人材の活用、このあたりが積極的に行われるようになった頃かなと思います。

職場の環境の変化は、そこで働く人に少なからず影響を与えるものです。
教員が感じている負担感について職場内の受けとめは様々ですが、疲労感は日常的なもので、それをうまくやれない人に責任がある、という風潮があると感じています。

「さばけている人はできている、だから問題ない」
「これも、できそうですか?」
「仕事ですから」
「なんとか工夫してできますか?」
「周囲と連携して取り組みましょう」
「こんな風に考えられないですか?」
「疲れた時は、休んだらいいよ(でも状況の改善はしないよ)」

メンタルヘルスに関する知識やメソッドは、職場の環境改善ではなく、増え続ける仕事、場当たり的な方針への転換をいかに飲み込ませるかに活用されているように思います。組織が縦割りで階層的になると、それぞれが、それぞれの理論で物を言うので調整が効きません。最後にツケを払うのは現場の教員だとしたら、そこで保護者や地域社会、子どもの矢面に立つ、または板挟みになることが決定します。

最期のトドメの言葉は、「市民や保護者の期待に応えましょう」です。
指示するのは私、やって責任をとるのはあなた、ズルい言葉だと思います。
正直に取り組み過ぎて、教員のみなさんが自分を壊してしまわないよう、祈るばかりです。


https://magomago1.org/476decidedplanleadthemtoupstairs202109/
前回は「476)特別支援学校 経年的な視点で年間指導計画をつくる」でした。