医師・介護・看護 学校の文化 担任の先生より 未分類 OT・PT・ST

502)特別支援学校 研究授業のあと

学校の教員には、研究授業というものがあります
学校の先生を知り合いや親族にもつ方なら、一度は聞いたことがあると思うのです。

先生になったばかりの人や、なって数年の人が
どんな子どもに、どんな目標で、どんな授業をやるか
授業でどんな工夫をしたかを指導案として作成して、

見に来た人が、それを見ながら、目的に合った授業か、展開はどうだとかを見て、後でどうだったか、あーだ、こーだ言うやつです。

学校によっては、これは研修だから新人もベテランもない、毎年1回はやれという学校もあります。

新人の先生は必須の研修として行いますが、ベテランの授業は全員に研修を課しているという自己満足か、人事査定くらいしか意味がないと思います。なぜなら、経験を積むにつれて校内の仕事はあふれんばかりに詰め込まれて、指導案を書くための軽減もなく、実際に研究授業をしても指導体制に余力がなければ若手の先生も見に行けないという実情があります。(来るのは授業をもたない人ばかり)

【似てる】
研究授業の詳細はさておき、誰に、どんな目的で、何をするか、という流れを示すのは理学療法士や作業療法士等の医療関係の実習や新人教育で行う症例発表とよく似ていると感じます。

ただ、違うのはマウントする、深堀りして追求する、一緒に考えるといった医療関係独特の雰囲気とはちょっと違って、対象となる子どもの意欲であるとか、興味であるとか、評価の対象が実際の授業者ではない場合が多いと感じます。つまり、医療であれ教育であれ、サービスの提供者としての資質を高めるためではなく、顧客のニーズを満たすために、どんなサービスを提供しているかが問題になっていることが多いということです。

話合う内容について、よく出てくるのは経験や感情、価値観でもって意見が述べられることがほとんどで、着地点のない内容が次々にでてくることが特徴です。

【多様な指摘・意見】

①結論はないが共感
この題材を取り扱うのは難しいよね、このクラスは大変よね、などの共感にあふれ、日常から研究授業までの労をねぎらう話題でもちきりになることもあります。結論はでないけれど、研究授業を行った学級や学習グループの実態を共有することはできますし、授業者の先生にとって、気持ちが救われる機会になることがあります。

②権威を振りかざして意見を言う
「あの有名な〇〇先生が、このように指摘していましたよね」、「この先生はこんなやり方をしていましたが、気づいていましたか?」など、校内外の役職や格付けが高い先生を持ち出して指摘することがあります。権威に楯突かない公務員社会には有効かもしれませんが、その授業を行う先生にとって、そこにいる学級の子どもたちにとって妥当な意見かは、全く別問題です。このような意見の多くは、授業者の先生の頭を抑える指摘のみで、生産性がありません。引用するならば、その先生向けにアレンジして、対案や方向性をセットにして示すのが礼儀だと思います。

③授業を受けている子どもの様子から、授業者は何を思っているか聞きだす
「これはできているけれど、ここは難しそうだったと思いました。先生は授業していてどうだった?」、「こんな表情をしていたけど、なぜだろうね」、など子どもを通して授業者の力量をはかったり、教育観を確かめたりします。これは検討会に来ている全員にとっても学びになる方向性です。

④科学の力を示す
「授業の中で見られた、この状態は〇〇だと思うんですが、これについて先生はどう対応されていますか?」のような意味や原因を確かめる問いかけで、かなり医療職の症例報告会に近いで。特別支援学校では医療系の知識や技術を付加していかないと事故になることがありますし、指導そのものの妥当性に大きく影響するところだったりしますので、逃げられない部分です。学びにはなりますが、精魂込めて作った指導が、根底から覆される可能性があるので、場合によってはかなり厳しい指摘ともいえます。

【意見を述べるときに意識していること(私見)】

私も学校に入った頃は、自分のもっているものを授業に還元したいという思いから、④を中心に述べていたように思います。しかし、自分が授業をしてきた立場から、何を検討会で求めているか考えると、①の共感や、自分の授業を膨らませるアイディアや、授業をつくるときの観点だったりするので、自分の視点でこう見えた、こんなことが代替案として考えられる、こんな視点でやってみると面白い、といった意見を出すようになりました。

検討会は誰のものか?

おそらく、日常の授業以外に時間をかけて案をつくり、教材を準備してきた授業者の先生が、今後も進んでいけるための、次の一歩を考える会だと思っています。それは授業者の先生にとって、優しくもあり、厳しくもありですが、最後はよき理解者になれたらいいのかなと思っています。