学校の文化

49)作業療法士だった私が学校に入って怒っていたこと

こんにちは、雑賀孫市です。
今日は、作業療法士だった私が学校に入って、怒っていたことは何か書いてみます。
もう、あれから15年くらい経過したのか…(遠い目)。
やはり医学モデルから生活(それも学校という特殊な)モデルへの転換は容易ではないなぁ、 と回想しつつ話を進めます。

なんじゃあ、こりゃあああ

【私が怒っていたこと】
①縦割り意識(大人同士のこと)  
仕事が縦割りなので、仕事は新人であろうと、ベテランであろうと当たり前のように降ってきます。 学校の文化が分からない私にとって、何に、どれくらいの力を入れて取り組むか分からない時期は前任者を探して聞くことしかできませんでした。
これに足を突っ込むと、途中で「これはおかしい」と感じることがあっても組織的に仕事が進んでいるので、途中で異を唱えることが難しくなります。ガイドラインがあればいいのですが、それがないと前例主義に従うことになります。

②縦割り意識(指導のこと)  
最も違和感だったのが、「体のことは分かりません、専門の先生にお任せします。」という担任の先生の言葉でした。
学校生活を見ている担任の先生が、子供の頭と身体を切り離して考えているのかと驚きました。  これは、本当に知識が不足しているため、対応しようにも開ける引き出しがない。
または、授業などのサブティーチャーはMT(メインティーチャー)に応じて動く文化があるので、それに従っていただけ、あたりが原因なのではと思います。
肢体不自由の学校の担任として、せめて学級の児童・生徒だけでも分かろうよと思うのですが、学校生活で有効なアセスメント(医療で言う評価)が行えたら、どんな学校生活がデザインできるのかな…とぼんやり考えていました。

③教室で何をやっているのか分からない  
登校から下校まで、学級や学年、学部単位で集まって学習していますが、それぞれの取り組みが、集団を構成する児童・生徒一人ひとりの発達にどう寄与するのか分からないことが多かったです。  
学校では教育課程に則って、時間割通りに授業をしていきます。そこは、いわゆる文化の伝承の場であって、リハビリの技士が大事にしている発達や日常生活動作の向上などは、思ったより重要視されていないように思われました。
自分が担任の立場で見るようになって思うことは、ガッツリ個別リハを継続して、というのは時間的にも、指導体制的にも不可能で、学校生活の営みのなかに留意点として発達や機能的な学習要素を混ぜ込んでみたり、隙間時間にできることを探してやったりするしかないのかなと思います。
また、それを実行するには効率化や指導内容の厳選、優先順位をつけることによって、少しでもゆとりを持たせることが必要だと思います。

【さいごに】
学校に入って、疑問や不満に思ったことがいろいろありました。 自分の立ち位置からは分からない部分は大学院(教育学部)で埋めました。
学校生活をもっとよく見るためには、担任の先生の仕事を知る必要があると思ったので、担任の先生もやってみました。
今、随分いろんなことが見えてきました。 最後に、当時の自分が「これだ!」と感じた表を紹介して、今回は終わりにしたいと思います。

放送大学 転換期の教師2007

https://magomago1.org/changeofclothesinthespecialeducationschool202002/
前回のブログは「48)特別支援学校での着替え指導」でした。

https://magomago1.org/keepingsittingdifficult202002/
次のブログは、「50)元作業療法士の担任の先生より 1時間、座っているということ」です。