担任の先生より

475)特別支援学校 ポジティブな保護者の方との付き合いかた

特別支援学校に在籍する児童生徒の保護者も、いろんな方がいらっしゃいます

どこか超越したかのように、いろんなところに気を遣い付き合える。
細かくマニュアルを定め、その通りにしてくれと求める。
リハビリの訓練をやってくれと、リハのプログラム一覧をもってくる。
日常の愚痴を聞いて欲しい。
自分の子どもを大事にしていないのではと疑いをもち、参観と称して担任を監視する。
水分摂取をもっとやってください、もっと飲ませてください。
子どもの学校以外の活動を見に来てください。

などなど、いろんな保護者の方を思い出します。
本当にいろんな方と出会ってきました(遠い目)。

それに対して、「保護者の思いを…」と言うのですが、そこはうまく線引きをしていく必要があると思っています。

【担任は学校生活コーディネーター】
その場で対応できること、ピンポイントであることなら、それなりにできるのですが、日常のルーティンになることには、あっさり受け入れていいのか熟慮するようにしています。

中には、保護者の言うことを聞くことが正義、のようにハイハイ言う先生もいるのですが、

特定の児童生徒に特化した対応を現場に義務づけることによって、同じ学級の子どもの不利益にならないか、日常にそれを組み込むことで、他の教職員がその子に対応することをひどく困難なことだと感じさせたりはしないだろうか、と考えます。

私はその年の担任であるけれど、次の年には誰が担任をするか分からないのです。
スタートしてすぐ、訳の分からないサービスを強要されたら、どう思うだろうか。

もし、できないとなったら、いかにそれが正当な理由でなくても、その保護者から「協力的でない担任」という烙印を押されてしまうのです。

それを継続することで、結果が良いほうに向かうかという時間的な「縦」
するのは自分が中心かもしれませんが、自分は永遠の存在ではなく、終身担当(担任)
ではありません。支援者にも支援者の事情と専門性があり、要望はそことの対話によって成り立つものと思います。なので、ハイハイ言って際限ない消費者意識を膨張させず、子どもと保護者、その周りの支援者が気持ちよくそこにいる、そんな関係がいいのかなと思いながら、日々仕事しています。

支援できる人が少なくなり、難しい子ども(保護者)だと周りから思われはしないか「横」

するのは自分が中心かもしれませんが、自分は永遠の存在ではなく、終身担当(担任)ではありません。
支援者にも支援者の事情と専門性があり、要望はそことの対話によって成り立つものと思います。
なので、ハイハイ言って際限ない消費者意識を膨張させず、子どもと保護者、その周りの支援者が気持ちよくそこにいる、そんな関係がいいのかなと思いながら、日々仕事しています。


https://magomago1.org/474norulemakethestudentadullboy202109/
前回は「474)特別支援学校 「子ども、脱毛症になってるよ」」でした。