学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

531)特別支援学校 特別支援学校でOTやPT、STが教員として会したらどうするか

当初、いつかリハビリテーション技士(言語聴覚士、作業療法士、理学療法士など)が特別支援教育に参画し、教員という立場になったりする日を考えながらブログを書いてきましたが、実際に同じ学校に技士免許をもつ人が集まったらどうなるだろう?と考えました。

臨床あがりの技士について、「自分の知識・技術を学校でも活かせれば」、「自分の知識や技術が子どもの発達に寄与すれば」、などと考えて入職するのではと思います。これまで、学校は生活の場で、治療でなく学校という場で集団のなかで学びあう場だ、としつこく書いてきました。10年以上前のリハの先輩方は、まるで実習生とかかわるように教員を論破したり、訳の分からない専門用語を披露したりしているうちに、何かおかしい?と考えて、「いかに学校のなかで機能するか」について真剣に検討してきました。

それでもね、やっぱり基礎医学を学び、疾患について知識を増やし、国家試験を受けてきたんです。そりゃ、自分は他の教員と違う、他の教員には見えていないものが見えていると思えて当然です。だって、見えるし、分かることが違うし、違う引き出しを開けて対応できるんですもん、仕方ないですよ。

【会したらどうなる?】
この先、理学療法士等が特別支援学校の教員に何人も入ってきたら、どうでしょう?同じ職場に何人も「元技士」がいたりすることもあるでしょう。そうなったら、どうします?

・経験年数のマウントは復活するのか?
・知識と経験を駆使して高めあうか、衝突するか?
・同じ元専門家として天秤にかけられ、教員集団の中で人気・不人気がでたりするかも?
・指導が難しいとされる学級に、揃ってねじこまれることもあるかも?
・日常の指導が質的に高くなりすぎて、引継ぎ困難になったりしないか?
・医療的な専門性が正義のように扱われて、学校らしさより、集団訓練施設のようにならないか?

個人的には元技士同士は同じ枠内で仕事をしないほうがいいと思います。

なぜなら、どうしても意見の相違(互いに正当な根拠あり)がでると、摩擦になる可能性が高いからです。表面上はうまくいっているようでも、どっちかがガマンすることが起こると思います。そのため、他学部、他部門に分かれて互いの状況や立ち位置を確かめ合いながら、「良さを損なわず、相互補完できる状況」が望ましいと考えます。

【想定できる摩擦】
学校の日常について、違う立ち位置が望ましいと書きましたが、研修会などで同席する可能性があると思います。そうなったら、技士時代の「なぜ?」、「ここは評価した?」の応酬にならないよう注意しましょう。臨床では、質的に高い所をみて突っ込み合うことが、患者さんへのより良い治療につながるとして、意見を戦わせることがありますが、ここは学校です。

技士の世界の研修への価値観について、否定はしませんが、大きく二つの課題があると思います。

①他の教員を置き去りにする
列挙する視点や知識が世間ずれしていきます。互いに満足できるかもしれませんが、他の教員は腰がひけてしまうでしょう。先生は難しいことを考えているので、近寄ると細かいことを指摘されるかもしれない、先生の見ている子どもを安易に指導すると、クレームを受けるかもしれないと近寄ることがはばかられる…。ということが想定されます。

②絶対の正義がないところに、これが正義だという看板を掲げることになる
例えば、膝関節の関節可動域制限があって、ハムストリングスを伸ばそうね、という指導があったとします。これに対して、目標が同じで、要点をおさえていれば、人によってやり方が違っていいと思います。ところが、研修会や会議などで、「こうするんです」と宣言することで、その他の指導を暗黙のうちに封印させることにつながります。「私は、他の指導をしている訳じゃない、あくまで例です!」と言っても、学校では通用しません。指導方法の共通認識、指導方法の共有は、元技士が思っている以上に強いのです。

【指導内容が固定化する理由】
その子にとって、おしゃべりをしていい、ストレッチをしていい、ボール投げをしてもいい、などかかわり方はいろいろです。ところが、具体的な指導目標ができ、具体的な指導方法ができると、それは組織的に対応しなければならないマニュアルとして認識されます

ところが、そのマニュアルで求められるものが高度である、理解しにくいものだとどうでしょう?

分かっている人に聞いて、練習して、できるようになることが専門性の向上につながるでしょ!?と過去の先輩なら言ったでしょう。しかし、未知でリスクがあるかもしれないものに対しては、できる人がやればいい、専門的な指導ができる人がしっかりやればいい、と回避されうことが多いです。

学校は日常生活のなかで繰り返すなかで学べることが利点だと思いますが、孤高の指導はそこに組み込まれません。どうしてもやりたければ、自分で責任をもってやること、自分で指導し、その成果を次に引き継げるまで高められる覚悟と自信がなければすべきではありません。(保護者の期待だけが残って、次の担任を苦しめることにつながる)

【話はずれましたが】
話はずれてしまいましたが、元技士が学校で会したらマニアックな話は身内だけでしましょう。正義はないので、知恵をもちよって現状をよくする手だてを考えましょう。派閥をつくって学校の教員を指導してやろうなどと考えないようにしましょう。意思ある教員は、元技士である人の指導を見て学びますし、余力があれば聞いて学ぼうとします。簡単に他人変わりません。それが組織に忠誠をもつ教員であるなら尚更です。