今日、同じ学部(小学部や中学部、など)の他学年の応援に行きました。
応援は、通常はあまりしないものですが、このあたりは組織的に指導するために必要なことではと思ったりすることがあります。
学級や学年の先生の数は、標準法によって計算され、決められるのですが、その公式が妥当かどうかは別として、「公式の意図(?)通りにいかないことがほとんどだ」と思われます。
それは、どういうことかと言うと、教員7名、児童生徒15名の学年があったとして、指導体制に変化が起こるのは以下のようなものです。
・学年または学級閉鎖
・教員の不在(病休、年休、出張、出産など)
・児童生徒の不在(出席停止、事故欠、体調不良、通院
・応援
・引継ぎ段階の一時的な教員数の増加
ただ、これは人数(数)の問題であって、児童生徒の数が多くても、日常生活動作や学習の準備等で自立した子どもたちの割合が多ければ「どうしようもない事態」は少なくなりますし、逆に普通または過剰だと思われる人数でも、多種多様な支援が必要な学級では余裕がまったくないことになります。
そうして、児童生徒がどんなであっても、1学級1教員であれば、途中で物を取りに行きにくいし、教員がトイレに行くことが難しくなるので、それなりに厳しい環境だといえます。
【応援に行った】
さて、応援に行ってビビったことが4つありました。
・授業の司会的な先生(MT)が全体の動きを見ておらず、授業のリズムがバラバラだったこと。
・応援の先生(私)のところに、何の目的があるか示さないまま、「この子もみて」と連れてくる。
・移動の際、応援の先生(私)を集団の先頭にする。
・一人ずつ、ピストン運行で排せつの支援に向かわせる。(非効率だなぁと感じました)
学級の遠泳の仕方は教員ごと、環境によって、児童生徒の人数や発達段階や組み合わせによって随分違ってきます。それでも、3つ目の対応は「どうなの?」と思えるものでした。
先頭にたつということは、集団がどこからどこに向かうか分かっているということ、集団(列)の進み具合や進み方について指導するということ、目的地に着く直前または着いてすぐどうするべきか指導できることが大事だと思っています。
この学年は、以前担当していた学年なので、まったく分からない訳ではありませんが、今見えているのは自分の知らない(変わってしまった)児童生徒ですし、現在の指導方針や、今いる先生の力量や指導観は分かりません。なので、現在その学年にいる先生が主導権をもつべきだと思いますし、責任を負うべきだと思うのですが…。
【学んだこと】
応援は臨時に、ピンポイントで、どちらかというと指導が厳しいところに補填されることが多いです。そのため、これはきっと非常勤講師になったときに感じることや働き方を練習させてもらっているのだ、と勝手に妄想していました。
なかなか状況的には厳しいのですが、「やってやれない訳ではないかな…」と感じました。
また、指導しながら感じたことは、実際に自分が授業をするときに留意すべき点ですし、応援がきたときはどんなふうに配置し、役割を担ってもらうか考えるための経験になりました。