先日、他学年の応援に行ったとき、その子についてと言われた子が、いわゆる「かまって」でした。
「かまって」と呼ばれる子について、純粋に人とかかわりを求める場合は、内容の是非はさておいて、「たたく」「ひっかく」「つねる」などの感覚刺激的な手段で接触を試みてきます。
少し知的に高い子になると、大人が嫌がることをあえてすることで、自分に視線と行動が向いてくること、自分に大人が付き添うことにメリットを感じるようになります。
そうして、もう少し高い子になると、結局大人は自分たちの世話をするもので、その中で好きなことをすればいいじゃんとなりがちです。
【今回の子は】
・つばをつけてくる
・たたく
・腕にしがみつく
・言われたことに微妙に背いてみる。(座ってと言われたところから、少しずれたところに座る)
・もたれかかってくる
・やたらと喋りかけてくる。(しかし、自己中心言語が多く、伝わらないこと多し)
・いわゆる思春期に入ってきているよう。
いろいろやってきますが、「ちゃんとして」、「なんで言われたことをやらないの!」と根負けしたら、このタイプは負けだなと思い、「はい、ここです」、「違います」「そうです」と言いながら、余計なことはほぼ無視、やって欲しいことを淡々と述べて、それに対するフィードバックをしました。
それでも、さすがに知的に高いところにいると、「何をするのが仕事」「どうやる」を伝えれば、動きのタイミングはずれがちでしたが、それなりに役目を果たそうとすることができていました。
余計な事は無視、かかかわらない
社会的に良くない行動以外でやっていることは、意味を聞いて、価値を与える言葉をかける。
やって欲しいことは端的に示し、できたら「それでいいです」、「よくできた」と認める
こんなのでいいと思うのです。紙を塗りつぶしていたら、「白いところがないように、端から端までよく見ているね」と言えばいいし、過剰な賞賛は自己の内面を満足させるものではないので、意外とドライに捉えているみたいです。
【余談、信頼関係について】
信頼関係は、単なるかかわりの量だけでなく、「この人の言うことを聞けば、まず間違いない」、「うまくいったら認めてくれる」が根っこになければ、どんな発達段階や認知機能の段階の子も難しいかもしれません。(あくまで自論ですが)
保護者や児童生徒の機嫌を損ねると、「信頼関係がー!」と騒ぐ管理職や先生がいますが、信頼関係の意味をもっとよく考えたほうがいいと思います。特に保護者に対しては、子どもを介して、子どもについて対等に話し合える関係でなければ信頼関係をもって進められる相手でないと判断すべきです。
立場を考えると、現在では保護者が顧客で、教員はサービス提供者ということになっていますが、保護者は提案でき、教員は提案できずに受け入れるだけとしたら、それは信頼関係とは言えません。
ご機嫌とりを信頼関係と取り違えているようなら、教員の過剰労働や過剰サービスは終わらないでしょう。