あのプリキュアで「死」を扱うとは!とネットニュースで一部話題になっていました。
これまでのプリキュアにおける「死」は、黒い煙の中に吸い込まれていくとか、とりあえず姿が見えなくなるということで完結させていたのですが、物体としての身体はそのままで、魂が抜ける「死」を描いたのは個人的に意義深いものと思いました。
学校では、広げる、積み重ねるなどのキーワードが大好きで、内面に問いかけて、あとは自分の価値観に任せるといった営みが減ったように感じますし、暗いものや汚いものは視界から見えないようにしている気がしてなりません。
子どもの心にキズを…とか、トラウマになるとか、PTSDになってはいけないとか、です。
配慮は分かる、でも、生きていると理不尽なこと、汚いこと、悲しいこと、辛いことはあります。大人の世界を子どもに見せるなという考えもありますが、子どもの世界や生活の中で出会うであろうこれらの体験を奪うことに問題はないのか?という話です。
プリキュアでは、「ペットが死ぬ」ということで、人間でない動物になりましたが、人は生まれたら必ず死ぬ、形あるものはいつかなくなるということで、喪失体験から学ぶことも多かったです。
【私の喪失体験】
・大事にしていた風船が飛んで行っちゃった⇒ちゃんと持っていないといけない
・祖父が亡くなった⇒後悔しないよう、もっと一緒にいればよかった
・おもちゃが壊れた⇒物は大事にしないといけない、また買えるようお金を貯めよう
子ども心に、すごく悲しかったり、残念に思ったりしましたが、それらが自分を律したり、正したり、ネガティブさを乗り越えていくための糧になっています。
なので、なくなったらすぐに買い与えるな、老人から目を背けるな、小さい子どもに立ち返る機会を奪うな、と思います。