特別支援学校の知的障害の学部の中学部、高等部では、「作業学習」という授業が行われています。
私が見た学部の作業学習はいずれも週に1日、2コマの授業でした。他の教科と同様に、学年の中から担当が決められ、指導略案の作成(何をする、仕事の割り振り、教員配置、タイムテーブルなど)、授業準備、片付け、教材の準備などを行いました。
この授業は、そもそもですが、教員の思いつきで設定されるものではなく、学習指導要領に基づいて設定されています。学習指導要領では、「作業活動を学習活動の中心にしながら、生徒の働く意欲を培い、将来の職業生活や社会自立に必要な事柄を総合的に学習するもの」とされています。
さらに、「とりわけ、作業学習の成果を直接、生徒の将来の進路等に直結させることよりも、生徒の働く意欲を培いながら、将来の職業生活や社会自立に向けて基盤となる資質・能力を育むことができるようにしていくことが重要」と書かれていました。
何をするのかというと、学習指導要領解説では、紙工、木工、縫製、織物、食品加工などが紹介されています。多くの高等部のある特別支援学校の作品展示や催し物に、上記の作品や取り組みが多く紹介されるのは、ここからきていると思われ、地域の人を含む、多くの人の目や期待に応えられるものが前提になっています。ありのままの姿を認めてあげることが必要だと、あるがままの姿で出品されることは、まずありません。)
作業療法では、当事者でない他人の目を意識することよりも、当事者への意味や価値が最優先されると思いますが、学校はそうでないところがあり、現に、「私の子の作品が貧相で、他の子のものと違うことに傷つきました」という意見があったりするので、優劣はなく、みんなできている状態にすることが暗に求められています。
【作業学習の進め方】
私が行ったのは知的の部門の中学部の作業学習でした。人数規模が大きければ、紙工、木工、清掃、などにグループ分けをすることがありますが、中途半端な人数だと、一つの教室に集まって、一つの作業を分担して行うことになります。
紙漉きだと、「パルプと外装紙をはがす→乾いたパルプをちぎる→何グラムかに計量する→ミキサーにかける→紙をすく→数を数える」みたいな感じで、工程を確認し、在籍する生徒を人数や能力別に振り分け、あてはめます。
各工程に教員がどのようにつくかも考えます。課題の多い生徒がいる場合、そこに担任がつきますし、安全管理が必要な工程には教員がつきます。そう考えると、教員は工程ごとに守備範囲が割り当てられ、そこを守りながら作業学習の授業が停滞しないよう配慮していて、特定の生徒の個別の支援のために教員をあてる割合は少なくなりがちです。
【助言・指導】
作業学習は作業療法に通じるものはあると思いますが、指導する教員の支援をするとき、生徒への個別の支援に特化したものよりも、授業の運営に寄与する個別の配慮のほうが歓迎されがちです。
ある生徒への指導の質があがっても、他の生徒への目がかけられない指導方法は受け入れがたいでしょう。行っている活動の意味や効果を詳しく解説してくれるなら、歓迎されるでしょう。
【正直なところ】
正直なところですが、校内で授業計画や運用をやってみて、「こうやってみたらどうでしょう」みたいな指摘があったとき、「あぁ、そうなんだ」と思うのと同時に、「パッときて、好き勝手なことを…」と思うことがあります。
公務分掌や行事、保護者対応、各種授業などの準備や対応をしながら、時間をつくって授業計画をたて、道具や消耗品を用意し、教室の準備や整備をして、やっと運営している作業学習の授業です。
道具を新たに準備しなければならないかもしれません。よくも悪くも変化があれば、学年の先生に周知して理解を得る必要があります。やってみて、効果や授業運営上の影響を確認することも必要です。
【妥協の産物】
もっと授業準備や検討に時間がかけられたら、もっと練れた授業ができたかもしれません。でも、時間がないので体裁を整えて走ることもあります。
作業療法士等がやってきて、その消化不良になったところを突いてきたらどうでしょう。
授業者にとって、「時間がなかろうが、余力がなかろうか、もっと質を追求しろ」と責められている気持ちになることがあります。そうして、「一から自分やってみろ」と言いたくても、お互いに仕事だから、言われていることは正論なんだろうからと、こらえて我慢します。
授業をつくる段階なら、よりよくする意見を混ぜ合わせて、授業の構築できるでしょう。しかし、走り始めてしまうと、全体の流れができあがり、生徒もその流れに慣れていくものなので、変更を加えることは少しであっても、なかなか難しいし、負担感があります。
「授業を変える」、「授業改善」、言葉はシンプルなようで、実はとても複雑です。