学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

1045)特別支援学校 専門家と担任の先生の間に入るときに気を付けていること

あるところで、特別支援学校における外部専門家制度に関する運用の話を聞きました。

それによると、OTやPTの間にコーディネータ的な教員を入れたらどうか、ということでした。

専門家について、意見のおしつけにならないこと、担任の状況、力量、指導方針に近いものが得られるように量や内容を調整すること、等が挙げられます。

担任に対して、専門家が専門性を発揮できるよう必要な情報を揃えるよう依頼(または聞き取り)をすること、担任の先生が説明しにくそうなときは代弁する、助言・指導を受けたことについて意訳をして実現可能な指導方法を提案する、等が挙げられます。

【あなたはどうしているの?】
あなたといっても、私のことなのですが、上記のような仲介は、校内で役割が正式に振られていなくてもやってきたことです。

なぜかというと、専門家の立場を考えると「特段ニードもないところに入って、とりあえず見たことを伝えたというのは虚しくなるだろう」、「情報量が少ない中で、児童生徒の実態をとらえて、何か言わなければならないみたいな状況に置かれるのは苦しいだろう」と思っているからで、来校する専門家の中には情報があろうとなかろうと、きちんと仕事をしていく方もいますが、状況がつかみきれないので自分が思ったことを伝えて終わる方もいます。

私は、「専門家だから、どんな状況でも見ればわかるもの」とは思いません。どんな料理人であっても、メニューに応じた、またはお客さんの好みに合った料理をつくるなら、それ相応の材料を揃える必要があるだろうと考えます。

ただ、客観的な目でこの役割について考えると、学校として専門家を活用するという事業に対して、個人の好意で下支えしている感情労働をしているに過ぎないとも見ることができます。学校と医療、連携する必要性は分かっていても、それぞれが独自の文化を強く作りすぎてしまったがために、噛みあいにくくなっていることもあります。それについて、個々の努力に依存しなくても、つながることができる仕組みはないのかな…と思うこともあります。

【懸念】
かといって、事業がまわるために間に入る人を設定してみよう、というのも考えモノです。

入れたからには、園問かと担任の間にその人が入るので、いなくても直接的な対話ができる場合も、あえてその人を挟まなければならなくなり、かえって煩雑になることが想定されます。

間に入る人が専門家寄りになったり、担任寄りになったりすると、もう一方を批判したり、意見や指導方法のおしつけになったりすることも考えられます。

また、「間に入ったからには、入った記録を残せ」みたないことになり、充分な意見が交わされたか、助言・指導を受けて担任が動いたか、成果をあげることができたか確認しろ、みたいなことになるのも困ります。

【望むこと】
本当は、専門家と担任の先生が検索ページからググるみたいに、もっと手軽に、手早く、必要に応じて連携できるのが望ましいのですが、まだうまくかみ合っていないように思います。

直接的に、対面で意見交換すると、「やらせる、やらされる」みたいな構図になりがちなので、まだ間に人が入ったほうがいいケースもある訳で、間に入るときはどちらの正義にも肩入れしない人が入ったほうがいいと思われ、「お互いに、きもちよく話せる状況づくり」ができる人がもっと増えたらいいなと思っています。