教員として、どんなふうに他の先生と児童生徒について情報と指導方針を共有しているのか思いだしてみました。
どうも、分かる人が指導する、指導的立場の人が指導する、だけでなく「教員の同僚性」に配慮したものでないと、うまく機能しないばかりでなく、人間関係も悪くなるようです。
現に、私も屁理屈ばかりでおかしな指導をする先生と組んで、ストレスをためまくったことがありますし、逆に理詰めで指摘して、根に持たれて嫌がらせを受けたこともあります。
【前提としてもっていたほうがいいこと】
・指導方針の選択と決定、実施の責任は担任がもっているということ
新しい取り組みをいれるときは、実施と評価ができる力量があるか見定めなければなりません。また、学級経営のなかに新しいものを入れるとき、何かを捨てる、どこかをいれかえる、人員を確保するなどの調整が必要なので、それをやってまで導入するに値するものか判断します。
・同じ気づきや課題意識をもっていること、もちたいと思っていることを示す
自分の学級の子どもについて話すときは、エピソードを愚痴のように話すことが多いです。これによって、相手に伝えられることが多いと感じています。
◆自分が感じている課題はどこか示すことができる。
◆自分は子どもについて、どこを、どのように観察しているのか示すことができる。
◆何を大事にして、何をテーマにして子どもを指導しているか示すことができる。
◆子どもの評価の仕方、指導方法について、共有していいことを示す。
◆子どもの評価の仕方、指導方法について、共有して、必要に応じて変更や検討できることを示す。
◆子どもについて情報共有や相談ができる相手として、信用されていると感じる。
・相手は変えられない
「相手は変えられない」という言葉は、他人から言われると「お前がガマンしろ」ということと同義なので、相手にこれを言うことは極力避けています。これは、自分が納得でき、どう対応するか見えている当事者が、自分のなかで発していい言葉なのだと思います。
どれだけ自分の考えに根拠があり、正しくても、相手がおかしいと何も生みませんし、面倒くさいことになるだけです。自分の心を浪費させないためにも、無難に相手しましょう。
話ができる人なら、逼迫した問題がなくても、日々「どうする?どうする?」と話していけば、いろいろと仕事がスムーズに進みます。これは、どこの業界でも共通するのではないでしょうか。
・時間をかけて経過や変化を追ってもらうことが大事
相手は、見えている課題について、対応すべきか、そうでないか判断する権利をもっています。対応した場合、そうでない場合、どちらにしても、「こうなってきたらフォローが必要になるかも」「こうなってきたら、こんなことに支障がでてくるかも」みたいなことを相手によって伝えることがあります。
そうすることで、時間をかけて気にかけることを促し、あのときはあんなふうに言われたけれど、自分のできる範囲でできることはあるのかと、考えてもらえるかもしれません。
学校の営みでは、個別にピンポイントで、継続してという枠組みを作ることが難しいので、何もできないかもしれないけれど、時間をかけて経過を意識してみてもらうことも大事だと思います。
【それでも】
もし、学級経営上、対応が難しいことを繰り返し求めてこられたら…。
表面上は話を合わせて終わらせますが、個別に特化した指導よりも、学級や集団の経営する立場である自分の仕事を理解しようとしない人だと、対話を終わらせ、蓋をしてしまいます。
結果的に、その子にとって必要な指導が実現しなかったという残念な結果だけでなく、意見をおしつけてくる人だと煙たがられるのもオマケとしてついてきます。
そのため、同じ悩みを持つ同列の人というスタンスを崩さず、情報共有と指導方法の検討をしています。