担任の先生より

1068)特別支援学校 教育関連の雑誌

ちょっと引用なのでかたい文になってしまいます。

特別支援教育研究というコアな雑誌の特集「自閉スペクトラム症の理解」のなかで、本田秀夫氏は「(前略)文部科学省では、近年『多様な学び方』『個別最適の学び』などのスローガンのもとで個別の特性に応じた教育のプランニングの重要性を協調するようになっている。

その理念は一定程度教員の間にも浸透してきたとは思われるものの、一部の教員や保護者たちは、集団一斉指導一辺倒の教育をよしとする固定概念を払拭できていないのが現状である。」と述べており

「おわりに」のなかで「今後は教育と医療がより一層連携しながらエビデンスを取り入れた教育的支援のあり方について研究を進める必要がある。」と締めています。

【言う人と、する人が一致していない】
大学や中央教育審議会等の人が書くと、その人の考えているテーマをクローズアップして、「これが課題だ」、「こうあるべき」と狭い範囲を示し、対応するのは教員だ、といったものになりやすい。投げるのは筆者だが、筆者はその後どうするかの対応にはかかわらないという無責任さが、現代の学校教育の価値観のるつぼに拍車をかけているように思われる。

また、様々な教育実践が教育雑誌に寄稿されているが、その授業をつくりあげるために、どれだけの時間を割いたのかと思う。週に何時間か担当する授業があり、それらすべてに壮大なショータイムのような授業が展開できるはずもなく、それだけの準備へのエネルギーを雑誌が出た後も確保し続けることは不可能だと思われる。

まず、「個別の特性に応じた教育のプランニング」ですが、学級経営や授業運営は「個」をベースに考えてはならないと思われる。特性はあくまで集団生活を送るために必要な配慮をベースにして、対応できるタイミングで個別にぽん、ぽんと指導をいれていくくらいでないと、学級は崩壊するだろう

また、一斉授業一辺倒を批判されているが、これは一斉授業の何を批判されているのか…?と思います。授業は教科ごとに時間割に並べられており、教員は複数の児童生徒に対して一人だけ、まとめて授業や指導をしなければ成り立たない学校現場において、一体何を言っているのだろうと思える。

医療は子どもの課題を分析して、ターゲットを明確にする、理由や原因を追究するときに有効ですが、それをどうするかは対応する組織や人の役割や職域、力量に左右され、相談すればピタリと治るといった魔法の杖ではない。

最近流行りの「個別最適」というキーワードに応じる形で語りたいのは分かるが、学校の教員は個別に配置されておらず、関係者や保護者すべてが、すべての子どもの個別最適を求めてきたら、その学級の先生は間違いなくパンクしてしまうことでしょう。